昨日書いた「江戸しぐさのヘンテコさ」の続き。
「江戸しぐさ」三度消滅物語(明治維新での江戸っ子狩り、国家総動員法、高度経済成長)という、江戸しぐさの歴史を検証している方々のツイッターまとめがあったのだが、どうも「江戸しぐさ」一派は至る所で主張を変えているらしい。
「とにかく一九二九年、大恐慌の年のことですが、私が七歳の時、あの民俗学者の柳田国男先生が講に取材を申し込んでこられたそうです。しかし、古老たちは断ってしまった。このため柳田先生は「江戸しぐさ」について、一切書き残していないんです。」(『江戸の繁盛しぐさ』p.173)。(続
で、公式サイト→http://t.co/li2gOk4VAw
こっちでは「『遠野物語』などで知られる民俗学者の柳田国男から戦後、取材の申し込みを受けた。」とある。あらあら、調査時期が食い違ってるよ。「このため(略)一切書き残していないんです」なんて断じてたのに!(ニヤニヤ
な、なんだこれは…柳田国男が取材に来た話、適当に話しているんだな、この人達は…「戦後の柳田は海上の道研究してただろ?!」と突っ込まれて、文章を変えたのか?
1929年の柳田は都市と農村の研究をしていたようだ。名著『明治大正史世相編』もこのあとに書かれている。江戸しぐさの取材をしに来てもおかしくはない…でも、なんか変だな。柳田の都市論に「傘かしげ」「うかつあやまり」のような些細なマナーが出てくることはあまりない。
なお、芝三光という人は本当に歴史に無知だったらしい。
それはそうと『江戸の繁盛しぐさ』、芝光三の話(「うらしま・たろうの「現代江戸講」」)を掲載してる。「厳しく専門性を要求した「餅は餅屋」」項に「某有名大学の学生がうちの会に来たんです。歴史学を勉強したなんて威張っていたが、何も知らないことが分かって来なくなったんです」と。「分かっ」た詳細は未記載、ただし以下に「きっかけ」として芭蕉の話を続け、伝芭蕉の句「~君が春」を解説して曰く「ここでいう君は徳川将軍ですね。後に大政奉還というぐらいだから、天皇より上になったわけでしょ、ですから君が春と……。(略)(略)歴史を学んだと学生さんが威張るんなら、ここまで知っていないといけないと思うんです。それが「餅は餅屋」の精神だし、「江戸しぐさ」です。」と。「奉還」した方が「上」らしいの… 「ここまで知っていないといけないと思うんです」「それが(略)「江戸しぐさ」です」! かぁ。
将軍家が天皇家より上だという珍説には恐れいった。水戸光圀と熊沢蕃山と吉田松陰が激怒するんじゃないのか?
芝三光という方、どうも落語の「やかん」のご隠居のような人で、珍妙なオレ理論をぶちかましまくる人だったようにも思えるんだよなあ。「取材に来た」という人がどれも有名人で、江戸の専門家ではない(!)という共通点があるのも不思議だ。長谷川伸とか、永井荷風とか、荷風の弟子の長谷さんとか、芝三光氏の同世代なんだが、この手の在野の江戸学徒を出すとボコボコに叩かれるので、別の人を持ってきたのかなあ?
もう一つ。
浦島太郎の残し文というブログが有る。「江戸しぐさ名づけの親浦島太郎の遺言」というのだが、ここのサイトのトップの芝三光の記述が他と異なるのだ。
「江戸の良さを見なおす会」のあゆみ
昭和3年4月8日 こばやしかずお芝三光町にて生まれる
( banku-ba~横浜港の船の中)
昭和11年5月20日 思い出文集・公開中
昭和12年3月 はるかぜ文集
昭和15年2月 3日 思い出文集
昭和16年~昭和18年公開中
昭和20年
昭和21年 電子管工学ノート
昭和22年~ 整理中
昭和32年4月20日 「科学タイムズ」・小中学生と地方青少年新聞発刊
昭和33年 満点教室生徒募集
資料整理中 店員教育研究所設立
資料整理中 江戸商法研究会(小冊子)・公開予定
昭和34年4月 8日 みちずれ(MRS)発刊
昭和41年9月21日 みちずれ・女性はみんな大学に・・発表(小冊子)
昭和42年
昭和43年
昭和44年6月 6日 江戸の良さを見なおすミーテング練馬にてスタート
昭和45年6月 6日 江戸っ子勉強会スタート
昭和46年6月16日 文集・青光創刊号
昭和47年 青光2号
昭和48年 青光3号
昭和48年6月 「江戸の良さを見なおす会」連絡室・目黒区大橋に置く
昭和49年6月6日 江戸の良さを見なおす会・一般公開
昭和49年 9月 目黒区社会教育団体登録認定
昭和49年6月7日 目黒代表・岩渕イセ・東京新聞「この人」に掲載
昭和50年1月 「江戸の心」レポート江戸しぐさ一夜一話参照)
昭和50年4月 定例会12ケ月
昭和52年4月 定例会12ケ月
昭和53年4月 定例会12ケ月
昭和54年4月 定例会12ケ月
昭和55年4月 定例会12ケ月
昭和56年4月 定例会12ケ月
昭和57年4月 定例会12ケ月
昭和58年 定例会12ケ月
昭和58年2月23日 読売新聞編集手帳
昭和58年 3月25日 いわき市社会福祉協議会にて 「心配ごと相談員研修会」講演
昭和58年7月23日 THE DAILY YOMIURI Spise Of Life(1)
昭和58年 10月13日 ICUにて講義「江戸の何が良いのか」
昭和58年10月30日 THE DAILY YOMIURI Spise Of Life(2)
昭和58年11月12日 THE DAILY YOMIURI Spise Of Life(3)
昭和58年12月 「江戸町衆の世界・しぐさ」出稿(サークル・サークル)
昭和59年 定例会12ケ月
昭和59年 6月・8月 「江戸町衆の世界・ことば・講」出稿
昭和59年10月20日 跡見学園大学「はたらく」への講義
昭和60年 定例会12ケ月
昭和60年1月~3月 大田区教育委員会・「江戸しぐさ講」
昭和60年 3月30日 16周年記念会「今なぜ江戸なのか?」
昭和60年6月 1日 よみうり寸評
昭和60年7月 江戸しぐさビデオで紹介(日本大学櫻丘高校)
昭和60年11月23日 「今こそ江戸しぐさ第一歩」出版
昭和61年 定例会12ケ月
昭和62年 定例会12ケ月
昭和63年 定例会12ケ月
平成元年12月 読売新聞夕刊・江戸はめでたく100歳
定例会12ケ月
平成2年 定例会12ケ月
平成2年9月19日 会の事務所移転(目黒区大橋パンネットジャパン内)
平成3年4月1日 定例会12ケ月
平成4年4月1日 定例会12ケ月
平成4年12月4日 江戸の繁盛しぐさ・(第五部しぐさ・うらしまたろうの「現代江戸講」 (特別寄稿・江戸しぐさ語り部の会支援)
平成5年 江戸FAX発信
平成6年 江戸FAX発信
平成7年 江戸FAX発信
平成8年 江戸FAX発信
平成9年 江戸FAX発信
平成10年 江戸FAX発信
平成11年1月22日 うらしまたろう(芝三光)逝去
芝氏没後は略した。しかし、これはいったいなんなのだろうか。
このブログを詳しく見ていくと、例の「NPO法人江戸しぐさ」とは別系統の「江戸の良さを見なおす会」
が所持している、芝三光氏の遺稿集であることがわかる。この芝さんというかたは物持ちの良い
方だったようで、昭和12年3月の「 はるかぜ文集」とか、小学校時代の作文を相当持っていた
ようだ。それらは上記のブログで影印して公開されている。内容は、まあ他愛のない子供の作文と
いうところか。昭和34年4月 8日 みちずれ(MRS)発刊とあるが、これも影印して掲載されている。
江戸しぐさとは全く無関係な、私小説的な雑文だ。職を転々としながら、雑文を同人誌にまとめて
いたようだ。
終戦直後の「東都茶人会」とかは全然出てこない。GHQ云々も上記の年表からは伺えない。
謎である。
なお、上記の年表にはないが、跡見学園女子大学(当時)の文化人類学者だった藤崎康彦氏が
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=atomi-forum-3-6芝氏について聞き書きをしている。藤崎氏はかなり慎重に芝氏を値踏みしている所がある。
芝氏の発言は、江戸の古老の発言であるが、「帰り道で襲われるといけないから行きと帰りで道を変える」とか、「鍋を囲んでいたら、藤崎氏が中座した所芝氏が『そのままにしておきましたよ、毒殺の危険があるから、客が中座した時には江戸では手を付けなかったのです』とのべ、江戸で毒殺がそんなに多かったのか?と藤崎氏はそれをいぶかしんだ」ということがあったという。読者に誤解させてはいけないから生半可な紹介は控えると藤崎氏は述べておられる。