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千鳥ヶ淵戦没者墓苑の謎

千鳥ヶ淵戦没者墓苑というところを、最近ちょこちょこと調べているのですが、調べれば調べるほどフシギなところですね。

◎千鳥ヶ淵戦没者墓苑で供養をする宗派としない宗派
公式サイトの「平成25年度主要慰霊行事予定表(http://www.boen.or.jp/appendix300.htm)」によると、
以下の宗教・宗派などが供養の読経などをしているようです。

法華宗(本門流)宗務院
臨済宗妙心寺派
妙智會教団(日蓮宗系)
阿含宗関東別院(※本山は京都大菩提寺、真言宗御室派系修験道)
カトリック麹町 聖イグナチオ教
新日本宗教団体連合
八・十五平和祈祷会実行委員会(※キリスト教系)
日蓮宗
浄土真宗本願寺派(西本願寺)
立正佼成会
解脱会浅草支部(真言宗醍醐寺派系修験道)
八光山
解脱会東京第一教区(真言宗醍醐寺派系)

八光山は公式サイトもなくよくわからないのですが、お題目を上げ…と書いてあるところを見ると日蓮宗系なんでしょうか?
こうしてみると、ちょっと面白いことに気づきます。
・日蓮宗系が最も多い
・真言宗の修験道系新宗教がまじめに供養している
・カソリックも多い
・伝統仏教の本山がちゃんと供養しているのは妙心寺と西本願寺ぐらいで非常に少ない

来ていない宗派の方が多いわけです。仏教十三宗のうち、分家筋も含めてきていないのは、
法相宗、華厳宗、律宗、天台宗、融通念仏宗、浄土宗、曹洞宗、時宗、黄檗宗
と、こんなにあるんですね。

真言修験道とカソリックは戦後靖国神社護持運動の時に頑張っていたのでその流れでしょうか。
日蓮宗は国家主義的な一面があるんでしょうね。
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書評『江戸300藩 バカ殿と名君』


江戸三○○藩 バカ殿と名君 うちの殿さまは偉かった? (光文社新書)江戸三○○藩 バカ殿と名君 うちの殿さまは偉かった? (光文社新書)
(2004/10/16)
八幡 和郎

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徳島文理大教授で、歴史作家の八幡和郎氏によるちょっと変わった江戸300藩史である。

実は、この本、旧幕臣の戸川残花の『三百諸侯』や、幕府隠密の報告書『土芥寇讎記』(どかいこうしゅうき)などの野史をかなり参照して書かれているようで、幕府の正史『寛政重修諸家譜』などを元とした中嶋繁雄『大名の日本地図』(文春新書)などとは全く書き方が違う。

中嶋繁雄氏は出来るだけ公式史料を元に書こうとしているが、八幡和郎氏は歴史の裏を読もうとする。そして戸川や『土芥寇讎記』などの、非公式史料を結構引用し、「名君と言われている人でも本当に名君なのか?」「バカ殿は本当に馬鹿なのか?」を検証しようとする。

例えば、「保科正之は中村彰彦がしきりに名君だと賞賛しているが実態は違うだろ?お手盛りとバラマキ以外の功績は果たしてあるのか?」と追及したり、「徳川頼房はちょっと精神的にアレなんじゃないの?」とつついたり、相当辛辣な評価が多い。

軽い本だと思ったが結構ヘビーでした。

続・江戸しぐさのヘンテコさ

昨日書いた「江戸しぐさのヘンテコさ」の続き。

「江戸しぐさ」三度消滅物語(明治維新での江戸っ子狩り、国家総動員法、高度経済成長)という、江戸しぐさの歴史を検証している方々のツイッターまとめがあったのだが、どうも「江戸しぐさ」一派は至る所で主張を変えているらしい。

「とにかく一九二九年、大恐慌の年のことですが、私が七歳の時、あの民俗学者の柳田国男先生が講に取材を申し込んでこられたそうです。しかし、古老たちは断ってしまった。このため柳田先生は「江戸しぐさ」について、一切書き残していないんです。」(『江戸の繁盛しぐさ』p.173)。(続
で、公式サイト→http://t.co/li2gOk4VAw
こっちでは「『遠野物語』などで知られる民俗学者の柳田国男から戦後、取材の申し込みを受けた。」とある。あらあら、調査時期が食い違ってるよ。「このため(略)一切書き残していないんです」なんて断じてたのに!(ニヤニヤ


な、なんだこれは…柳田国男が取材に来た話、適当に話しているんだな、この人達は…「戦後の柳田は海上の道研究してただろ?!」と突っ込まれて、文章を変えたのか?
1929年の柳田は都市と農村の研究をしていたようだ。名著『明治大正史世相編』もこのあとに書かれている。江戸しぐさの取材をしに来てもおかしくはない…でも、なんか変だな。柳田の都市論に「傘かしげ」「うかつあやまり」のような些細なマナーが出てくることはあまりない。

なお、芝三光という人は本当に歴史に無知だったらしい。


それはそうと『江戸の繁盛しぐさ』、芝光三の話(「うらしま・たろうの「現代江戸講」」)を掲載してる。「厳しく専門性を要求した「餅は餅屋」」項に「某有名大学の学生がうちの会に来たんです。歴史学を勉強したなんて威張っていたが、何も知らないことが分かって来なくなったんです」と。「分かっ」た詳細は未記載、ただし以下に「きっかけ」として芭蕉の話を続け、伝芭蕉の句「~君が春」を解説して曰く「ここでいう君は徳川将軍ですね。後に大政奉還というぐらいだから、天皇より上になったわけでしょ、ですから君が春と……。(略)(略)歴史を学んだと学生さんが威張るんなら、ここまで知っていないといけないと思うんです。それが「餅は餅屋」の精神だし、「江戸しぐさ」です。」と。「奉還」した方が「上」らしいの… 「ここまで知っていないといけないと思うんです」「それが(略)「江戸しぐさ」です」! かぁ。


将軍家が天皇家より上だという珍説には恐れいった。水戸光圀と熊沢蕃山と吉田松陰が激怒するんじゃないのか?
芝三光という方、どうも落語の「やかん」のご隠居のような人で、珍妙なオレ理論をぶちかましまくる人だったようにも思えるんだよなあ。「取材に来た」という人がどれも有名人で、江戸の専門家ではない(!)という共通点があるのも不思議だ。長谷川伸とか、永井荷風とか、荷風の弟子の長谷さんとか、芝三光氏の同世代なんだが、この手の在野の江戸学徒を出すとボコボコに叩かれるので、別の人を持ってきたのかなあ?

もう一つ。
浦島太郎の残し文というブログが有る。「江戸しぐさ名づけの親浦島太郎の遺言」というのだが、ここのサイトのトップの芝三光の記述が他と異なるのだ。


「江戸の良さを見なおす会」のあゆみ
昭和3年4月8日   こばやしかずお芝三光町にて生まれる
              ( banku-ba~横浜港の船の中)
昭和11年5月20日 思い出文集・公開中
昭和12年3月     はるかぜ文集
昭和15年2月 3日 思い出文集
昭和16年~昭和18年公開中
昭和20年
昭和21年       電子管工学ノート
昭和22年~      整理中

昭和32年4月20日 「科学タイムズ」・小中学生と地方青少年新聞発刊
昭和33年       満点教室生徒募集
資料整理中       店員教育研究所設立
資料整理中       江戸商法研究会(小冊子)・公開予定
昭和34年4月 8日  みちずれ(MRS)発刊
昭和41年9月21日  みちずれ・女性はみんな大学に・・発表(小冊子)
昭和42年
昭和43年
昭和44年6月 6日  江戸の良さを見なおすミーテング練馬にてスタート
昭和45年6月 6日  江戸っ子勉強会スタート
昭和46年6月16日 文集・青光創刊号 
昭和47年       青光2号   
昭和48年       青光3号
昭和48年6月    「江戸の良さを見なおす会」連絡室・目黒区大橋に置く
昭和49年6月6日  江戸の良さを見なおす会・一般公開
昭和49年 9月   目黒区社会教育団体登録認定
昭和49年6月7日 目黒代表・岩渕イセ・東京新聞「この人」に掲載
昭和50年1月     「江戸の心」レポート江戸しぐさ一夜一話参照)
昭和50年4月    定例会12ケ月
昭和52年4月    定例会12ケ月
昭和53年4月    定例会12ケ月
昭和54年4月    定例会12ケ月
昭和55年4月    定例会12ケ月
昭和56年4月    定例会12ケ月
昭和57年4月    定例会12ケ月
昭和58年       定例会12ケ月
昭和58年2月23日 読売新聞編集手帳
昭和58年 3月25日 いわき市社会福祉協議会にて 「心配ごと相談員研修会」講演
昭和58年7月23日 THE DAILY YOMIURI Spise Of Life(1)
昭和58年 10月13日 ICUにて講義「江戸の何が良いのか」
昭和58年10月30日 THE DAILY YOMIURI Spise Of Life(2)
昭和58年11月12日 THE DAILY YOMIURI Spise Of Life(3)
昭和58年12月    「江戸町衆の世界・しぐさ」出稿(サークル・サークル)
昭和59年        定例会12ケ月
昭和59年 6月・8月 「江戸町衆の世界・ことば・講」出稿
昭和59年10月20日 跡見学園大学「はたらく」への講義
昭和60年        定例会12ケ月       
昭和60年1月~3月 大田区教育委員会・「江戸しぐさ講」
昭和60年 3月30日  16周年記念会「今なぜ江戸なのか?」
昭和60年6月 1日   よみうり寸評
昭和60年7月      江戸しぐさビデオで紹介(日本大学櫻丘高校)
昭和60年11月23日  「今こそ江戸しぐさ第一歩」出版
昭和61年 定例会12ケ月
昭和62年 定例会12ケ月
昭和63年 定例会12ケ月
平成元年12月      読売新聞夕刊・江戸はめでたく100歳
             定例会12ケ月
平成2年 定例会12ケ月
平成2年9月19日  会の事務所移転(目黒区大橋パンネットジャパン内)
平成3年4月1日    定例会12ケ月
平成4年4月1日   定例会12ケ月
平成4年12月4日  江戸の繁盛しぐさ・(第五部しぐさ・うらしまたろうの「現代江戸講」 (特別寄稿・江戸しぐさ語り部の会支援)
平成5年        江戸FAX発信
平成6年        江戸FAX発信
平成7年         江戸FAX発信
平成8年        江戸FAX発信
平成9年        江戸FAX発信
平成10年       江戸FAX発信
平成11年1月22日 うらしまたろう(芝三光)逝去

芝氏没後は略した。しかし、これはいったいなんなのだろうか。
このブログを詳しく見ていくと、例の「NPO法人江戸しぐさ」とは別系統の「江戸の良さを見なおす会」
が所持している、芝三光氏の遺稿集であることがわかる。この芝さんというかたは物持ちの良い
方だったようで、昭和12年3月の「 はるかぜ文集」とか、小学校時代の作文を相当持っていた
ようだ。それらは上記のブログで影印して公開されている。内容は、まあ他愛のない子供の作文と
いうところか。昭和34年4月 8日  みちずれ(MRS)発刊とあるが、これも影印して掲載されている。
江戸しぐさとは全く無関係な、私小説的な雑文だ。職を転々としながら、雑文を同人誌にまとめて
いたようだ。

終戦直後の「東都茶人会」とかは全然出てこない。GHQ云々も上記の年表からは伺えない。
謎である。

なお、上記の年表にはないが、跡見学園女子大学(当時)の文化人類学者だった藤崎康彦氏がhttp://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=atomi-forum-3-6芝氏について聞き書きをしている。藤崎氏はかなり慎重に芝氏を値踏みしている所がある。

芝氏の発言は、江戸の古老の発言であるが、「帰り道で襲われるといけないから行きと帰りで道を変える」とか、「鍋を囲んでいたら、藤崎氏が中座した所芝氏が『そのままにしておきましたよ、毒殺の危険があるから、客が中座した時には江戸では手を付けなかったのです』とのべ、江戸で毒殺がそんなに多かったのか?と藤崎氏はそれをいぶかしんだ」ということがあったという。読者に誤解させてはいけないから生半可な紹介は控えると藤崎氏は述べておられる。

「江戸しぐさ」のヘンテコさ

「江戸しぐさ」というのがあるでしょう、最近になって、関西人が始めたACが、江戸の伝統仕草だといって
CMを流したりしているやつだ。

この、「江戸しぐさ」の家元はNPO法人江戸しぐさというところなのだが、ここに書いてあるhttp://www.edoshigusa.org/about/「江戸しぐさの誕生とその系譜」という文献があまりにもヘンテコなのである。

実は、似たような体験を芝三光さんはしている。
『赤城の子守唄』などのヒット曲を持ち、直立不動で歌うことで知られていた東海林太郎との思い出だ。あるとき、何の会合だったか、東海林太郎が芝三光さんに近づいてきて、こういったそうだ。
「下品(げぼん)なものでして、、、」
ああ、この方は江戸しぐさをご存知だ、と芝さんは瞬間的に思ったという。
上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)。人間のたしなみの位に応じてこんな表現を江戸ではした。自ら下品というのはへりくだっての表現で、生半可の人では知らなかったし、つかえなかった。


・東海林太郎は秋田市出身である。秋田の人が何故、江戸しぐさを知っているのか?
・東海林氏の来歴について、姓名研究家として有名だった丹羽基二は以下のように述べているという。
『この氏は、古くから全国に及んでいるが、東北ことに山形、秋田、宮城県には多い。古くは、百済琳聖太子の未裔と称する周防の多々良氏族の東海林丹羽守(多々良弘清)、平城天皇の皇子阿保親王を祖(大江氏の末とも奥州阿部氏の末とも云う)と称する羽前幸生城主の東海林隼人元宗をはじめ、江戸時代にも割合著名武士が多い。
地名としては、山形県寒河江市の東海林澤、東海林平、山形県の東海林山をはじめ、東北地方に散見出来る。
氏は、大陸渡来の林(リン)氏が日本(又は日本の東海地方)に帰着し、日本の林氏という意味で東海林(トウカイリン)と云っていたが、これら林氏の多くは、大陸渡来の承仕師(しょうじし)として、寺院や公家の佛事の雑役などを勤めていたために、いつとはなしにしょうじと呼ばれるようになったものと思う。』
(http://www.edoshigusa.org/about/genealogy1/01/より引用)

出羽の城主の子孫で、秋田市で育った東海林太郎氏が商人の仕草である「江戸しぐさ」を知っているというのも変な話ではないか。NPO法人江戸しぐさが主張する「明治初年の江戸っ子狩り」を首肯しても、出羽の武士が江戸しぐさを知っていることには何一つつながらない。
・それから、上品・中品・下品というのは『人間のたしなみの位』などではなく、仏教用語である。下品下生というのを知らないのだろうか?


げ‐ぼん【下品】
1 仏語。極楽浄土に生まれる人を、能力・資質の差によって上・中・下に3分した、その最下位。→九品(くほん)
2 下等。
「―の恋の句に一面滑稽味を帯びているのがある」〈寅彦・俳諧の本質的概論〉
げぼんげしょう【下品下生】
仏語。下品を上生・中生・下生の三つに分けた、その最下位。(大辞泉)


江戸講の流れを汲む1946年発足の「東都茶人会」、65年設立の「江戸を見直すミーティング」、74年につくった「江戸のよさを見なおす会」で使った。


茶人会という名称なのに、「江戸しぐさ」関係者に茶道関係者がほとんどいないのは不思議である。「東都茶人会」という名称もすごい。三越を繁栄させた茶人の高橋義雄の「東都茶人記」を知らないのだろうか?高橋義雄氏の名前も出てこないから不思議である。高橋氏は1937年に亡くなっている。1946年発足「東都茶人会」であれば、江戸茶人の大物だった高橋氏関係者が主催しそうなものだが、なぜ茶道と縁が無さそうな芝氏がやっているのか?

GHQの中で、江戸しぐさは評判になり、帰国したニューヨーカーたちが、高級専門店が立ち並ぶフィフスアベニュー(五番街)でおどけて実演したことがある。早速、通行人たちが面白がってまねをし、一世を風靡した。軍関係の新聞『スターズ・アンド・ストライプス』に紹介されたという。
「以来、この三つの瞬間芸がイコール江戸しぐさになりました」越川禮子さんが明かす秘話である。
古くは「寛政の改革」の経験から、江戸しぐさを伝承するため、江戸講は一種の秘密結社として活動、その内容は文書には書き残さず、口伝が当たり前だった。仮に書いてあっても公開しなかった。陳腐化するのを避けるとともに、商売繁盛を約束する貴重なノウハウの流出を避けた。


この辺り、あまりにも変すぎて突っ込む気にもなれないのだが(蛮社の獄を知らないのだろうか?)

『遠野物語』などで知られる民俗学者の柳田国男から戦後、取材の申し込みを受けた。
しかし、ゆかりの古老たちは柳田の取材を断った。
『週刊朝日』を発行部数百万部の大雑誌にした名編集長として名高い扇谷正造も取材に意欲を燃やしていた。扇谷は芝さんと意気投合、定年になったら一緒に研究しようと誓い合ったが、いざ取材に取り掛かろうとしたところで夭逝、実現しなかった。


柳田は戦後、江戸研究などしていたとは思えない、新憲法制定に携わったあとは晩年のライフワーク「海上の道」に取り組んでいたのではなかったか。

もっと変なのは扇谷正造(1913-1992)。扇谷氏は79歳まで生きている方なのだが、「夭逝」?!
60歳定年として19年もご存命だったのだが、扇谷氏の多数の著書の中に江戸関係のものがひとつもないんだけど。その上、扇谷氏も宮城県遠田郡涌谷町出身だ。江戸しぐさに興味をもつだろうか?

「とにかく、しつっこくて、この卑弥呼様には生殺しの目に遭いました」
公開しないはずのものを本にまでされてしまったものだから、半分はそのいいわけだ。
しかし、卑弥呼といい、生殺しに遭ったといい、江戸人らしい最大の褒め言葉だった。


卑弥呼について一般人がワーワー言い出したのは戦後、特に宮崎康平の『まぼろしの邪馬台国』(1965年(昭和40年)連載開始)以降じゃないでしょうかねえ。藤間生大の『埋もれた金印-女王卑弥呼と日本の黎明』(岩波新書)ですら1950年刊行なのだ。江戸時代に邪馬台国論争ってそんなにブームだったのか?卑弥呼を「東夷の女王」といった本居宣長が頭を抱えそうである。

どうも、この江戸しぐさの歴史を書いている人は、歴史的知識というか、常識がない人のようだ。

下町の古本屋めぐり

古本屋をのぞくのが好きだ。

新刊書の書店があまり代わり映えがしないのと違い、古本屋は
それが新古書店だろうが、旧来の古本屋さんだろうが、一軒一軒堂々たる個性を持っているからだ。
あの全国チェーン「ブックオフ」すら、街によってぜんぜん違うんだよね。

◯町屋『古本応援団』
地下鉄千代田線の駅降りてすぐ…といってもちょっと歩いたところにある、
小体な店構えの古本屋さん。店内は明るく、新し目の本が多いようだ。
わりと感じの良い店で、また再訪したくなった。割と夜遅くまでやっているらしい。
宮本昌孝『ふたり道三』中巻と、水野俊哉の『夢を叶えるゾウ』を購入。

◯綾瀬『ブックオフ』
千代田線のこれまた駅降りてすぐの大型新古書店。
ここ、以外と穴場である。霞ヶ関の官庁街と千代田線が直結しているせいか、質のいい本が
意外と出るのである。前にも観音経関係の本をここで相当買ったことがある。
今回は意外と出者がなく、不二龍彦『呪術大全』を100円で購入したのみ。
桐山靖雄『阿含経講義』が500円で食指をそそられたが、
漢訳阿含経のなかなか無い解説本ではあるものの、著者の主観が余りにも濃厚すぎて、
ちょっと食傷してしまい、買わず。これ前にも別の本屋でスルーしたんだよなあ。
阿含とか原始仏教系はニュートラルな本が意外と少ないように思われる。

◯御徒町(というか湯島)、上野広小路のブックオフ
ここで「司馬遼太郎が語る日本」シリーズを購入したが、ここは街がごみごみしているせいか
いい本が少ないようだ。前におせいさんの「古川柳落穂ひろい」を100円で買ったのが
出物の最後という感じである。ここで立ち読みしたノンブックの『陰陽五行入門』のシナ各王朝の五行配当に
元朝がスッポリ抜けているのを発見。今はなき中国史メーリングリストで、どなたかが、
五行配当が元で終わっているといっていたが、この本が元ネタかと納得した。
プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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