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佐野厄除け大師・惣宗寺

過日、佐野・足利へ旅行してきた。
佐野の町には有名な佐野厄除け大師(惣宗寺)がある。この寺は一応天台宗だが、宗教学者の島田和巳氏は「祈願寺院型」として伝統仏教でありながら新興宗教ビジネスの中に入れている。「関東の三大師」として関東地方では盛んにCMを打っているので有名だが、確かに新興宗教チックであった。平安時代に藤原秀郷が建立したと伝える伝統あるお寺なのだが…「厄除け」「水子供養」の看板が多すぎるのと、お堂のつくりやモニュメントがなんとなくアレだったな。

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なんかすごい勢いで「たたりよけ」の水子供養を推しまくっている看板。なお、水子供養は昭和40年代に新しく広められた新興の教義であり、新興宗教の真如苑などもこれで勢力を伸ばしたという。水子供養をやっているのは西新井大師などもそうなのだが、ここまで派手に看板を立てているところも少ないのではないだろうか?ちょっと、どうなんだろう、これ。

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「水子さん」という呼びかけセンスもすごい。お花を1本1000円というのも高いような…安いような…

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これと同じものが西新井大師行きの大師線の中にも貼ってあった。うーん。あと、九星は仏教というより、道教のような気がする…結構どこでも使っちゃってるけどね…佐野厄除け大師は、この厄除けダイレクトメールで教勢を伸ばした寺院として有名である。個人情報保護法施行前、名簿業者から名簿を購入して厄年に当たる人にDM攻勢をかけたのだという。

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この塔のデザインも昭和の新興宗教っぽいですね…個人的にはもうちょっと伝統的なもののほうが、好きだな…

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お堂も金ぴか、至る所に「厄年」看板。お堂の隣の自販機ではお守りを売っている。

御朱印などをもらって心静かに手を合わせるという感じにはちょっとなりにくいので、残念だった。看板の数とかもっと減らしたほうが風情があると思うんですがねえ…

それからちょっと驚いたのだが、この寺の本尊である慈恵大師(元三大師)良源に対して寺の看板で何一つ触れていないのもちょっとどうかと思う。弘法大師空海と混同されがちなのだから、もっと良源についてアピールしてもバチは当たらないと思うんですがねえ。

慈恵大師・良源(じえだいし・りょうげん)は正月3日に生まれたことから「元三大師」とも呼ばれ、『往生要集』の源信の師で、法相宗との三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)にケリを付けたとして末木文美士氏の『日本仏教史』にもちゃんと出てくる傑僧である。吉川弘文館の人物叢書にも「良源」がある。法力も絶大だったことから厄除大師として名高いのであるが、売らんかなの看板をやたらに設置するくらいなら、本尊様にもっと敬意を払うべきじゃないんでしょうか。日本文化の偉大な先人なのだから。


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末木 文美士

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浅草寺内の知られざるパワースポット

少し政界のきな臭い話が続いたので、少し趣を変えたい。

浅草のパワースポットというと今戸神社、浅草寺本殿、待乳山聖天宮という所が主だったところだが、
知られざる、いい気を発しているのに殆ど知られていないパワースポットがあるので、
少し天機を漏らしてみたいと思う。ご利益というのは独占すべきではなく平等にすべきだと思うのである。
これらのスポットは、どちらかというと霊能者とか占い関係の方といったような、プロの方が
霊力を上げるためにお参りしていることが多いようなので、参拝時にあまりはしゃがないようにして欲しい。

◎浅草寺内・パワースポット

1,銭塚地蔵尊
2ちゃんでも有名な某仕手筋の方が熱心に信仰したり、華僑系の信仰が篤い特異なパワスポである。
ズバリ埋蔵金伝説があるお地蔵様ということで、ご利益は無論商売繁盛一筋。場所は浅草寺西側を
ちょっと出た所。露骨に金儲けの気が出てくるところだから、女子に多い山ガール系の人たちからすると
嫌悪感があるパワーだと思う。女子向けの本で取り上げられているのを見たことがないwww
でも、金の苦労をしたことのないお嬢様には分からぬ所もある。それはそれでいい。

2,金龍権現・九頭竜権現
箱根の九頭龍神社と同一の神、ご利益も同一なのだが、あっちのほうが宣伝がうまいので、
ここにお参りしている人は
まあ、分かっている人である。箱根九頭龍神社も良い神社だが、ツアーで皆で行くとご利益というか
気が散じるように思われるので、一人でここにいったほうがいいのではないかね。場所は影向堂前。

3,浅草寺本殿裏観音
浅草寺本殿の右脇から靴を脱いで上がると、本殿の不動明王・愛染明王・観音菩薩像にお参りできる。
ここは本当に熱心な人しかお参りしていないので、一人で観音経を読経したりしている方とか、
五体投地礼が見事すぎておどろく方とか、プロの方以外は余りお参りしないように思われる。
ここの仏像は美術品ではなくまさしく信仰の対象なのだ。くれぐれも粗相がないように。
パワーについては、無論相当なものであると自分の体験から言える。

4,浅草神社
本殿の額を書いたのは源慶永こと松平春嶽公(坂本龍馬のパトロンだった方で、財政通で鳴らした。明治新政府には財政通がほとんど居なかったので、春嶽公と部下の由利公正が居なければやばかったのではないかという史家もいるほどだ)
なので、この額もパワーがかなりあると思うのだが、ほとんど話題にしないのはなんなんでしょうね。あんだけ龍馬、龍馬言ってるんだから、龍馬のボスにも敬意を払うべきじゃないのかね)

5,被官稲荷神社
浅草神社の裏。某放送プロデューサーのはなしによると、地元民が崇拝していることが著しいという。

待乳山聖天宮についてのまとめ

浅草寺の子院に当たる待乳山聖天宮について、最近よく参拝させていただいており、知見が深まったので、
いくつかメモをしておく。

・待乳山聖天宮は古くは真土山と書いた。谷戸貞彦氏の『七福神と聖天さん』によれば、この地には元々隅田八幡神社が有り、紀州からの居住者が八幡宮を聖天宮に改めたというのである。この説は待乳山聖天の縁起とも違っており、隅田八幡神社なる神社もよく分からない。一応、参考として書いておく。

・待乳山聖天は本尊の聖天さま(大聖歓喜天)を秘仏とする。これは他の聖天を祀る寺院でも同様に秘仏扱いである。理由としては、真鍋俊照氏が「大聖歓喜天を秘仏とする理由は、法力が損なわれるのを恐れているからである」というのが最も腑に落ちる。二天が抱擁しているからというのは殆ど意味を成さないと思う。二神抱擁の道祖神像が普通に道端にあるのだから…

・待乳山聖天の経本には、般若心経と観音経と諸神の真言がある。真鍋俊照氏によれば、
○鎌倉時代に、聖天さまのバチを受けないよう、常に観音経を読むべきだという行法書が書かれた。
○鎌倉時代の聖天様の行法の記録では、いろいろな神仏のご祈願も一緒にやっている。
ということなので、そういう経緯で付け加わったのだろう。最澄の歓喜天講式では、単に聖天様の真言を
三回唱えよとあり、善無畏訳の行法書でも「聖天様の真言を108回唱えよ」とあり、
古くは真言のみであったようだ。

・大聖歓喜天の二天は、太田古朴氏によれば鬼子母神(女性)と観自在菩薩(男性)であるという。ちょっとこれも通説と違うが、一応書いておきます。

浅草寺

浅草寺で諸堂を拝観してきた。以下メモ。

・浅草寺本堂
本堂は相変わらず人でいっぱい。本尊の秘仏観音の裏側に有る不動明王坐像と聖観音菩薩立像(裏観音)、愛染明王像も大変熱心に拝んでいる人がいた。ここの場合、仏像を見るというより、とにかく熱心に祈願している方が多い。
不動明王坐像の前で拝んでいた青年の方は特に見事な立ち居振る舞いで、仏像の前に端座して数珠を繰り、姿勢を崩さず、端然と参拝していたのには感心した。聖観音菩薩立像(裏観音)の前にはいつもどなたか参拝者の方がおられるのだが、今日はダレもいなかった。普段より観音様のお顔が少し黒く見えた。

・影向堂
このお堂も随分何度も来ているが、仏像の年代はかなりまちまちなようだ。阿弥陀如来坐像と普賢菩薩坐像は相当古い。不動明王坐像は東寺様だがいつの時代のものだろうか。明らかに新しい仏像もあった。ここの参拝者は本堂よりややミーハーな感じだ。守り本尊を祀るお堂なので、「ホラ、あれが私の守り本尊の○○よ」なんて言っているカップルも有る。

・この他、
都重文の西仏板碑って、あれ仏像が彫られていたのね。これまで何度となく見ていたのですがよく分からなかった。奥山の色々な石碑も見たが、かなり謎なものも。笹川良一と森繁久彌が揮毫した「喜劇人の碑」の隣の謎の石碑。あれは何なんだろう。妙な落書きのようなものが彫られているのだが摩滅していて全く読めないのだ。判読できたのは「私ハ貝になりたい」「どてら姿の人物」「タカクラテル」くらい。建立由緒すら摩滅している。

「喜劇人の碑」は碑の建立者の中にご存命の方もいるし、同じ所に有る大蔵貢建立の「映画弁士の碑」は映画会社六社が建立したせいかそれなりにメンテされているようだが、この碑はメンテも何もされていないようなのだ。

追記)ネット検索した所、謎の石碑の正体は喜劇役者の曽我廼家五九郎を記念した「曽我廼家五九郎の碑」であることがわかりました。「どてら姿の人物」は、曾我廼家の当たり役だった「のんきな父さん」だそうです。

【古寺巡礼】神田商店街の小さなお寺と神社・出世不動尊と佐竹稲荷神社

神田駅西口商店街の中に、とても小さなお寺と神社がある。
出世不動尊と佐竹稲荷神社だ。

神田出世不動尊

見ての通り、ビルの谷間にある出世不動尊。出世不動通りの名前の由来にもなっているが…ガード下の居酒屋で有名な神田駅西口から10分弱歩く。住所で言えば、東京都千代田区内神田2丁目6となるが、地図を見ても中々分からない小さなお堂だ。でも由緒は正しいのだヨ!

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由来によると、江戸城の中にあった御三卿の一つ、一橋徳川家が祀っていた不動尊像をここにお堂を作って安置したそうだ。一橋徳川家は元文2(1737)年、八代将軍徳川吉宗の四男、宗尹が分家した家で、家格は徳川御三家に次ぐものとされ、所領は10万石というから大変な身分であった。一橋徳川家二代目の徳川治済などは十一代将軍徳川家斉の実父として権勢を誇り、松平定信なども解任してしまうほどの権力者であったという。一橋九代目の徳川慶喜こそ、徳川最後の将軍・十五代徳川慶喜であった。
その一橋徳川家が祀っていたお不動様なのだから、幕府全盛期はすごいものだったのだろう。
戦災で焼けて、お堂はとても小さくなっているが、今でも地域の人が大事にお祭りしている。

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この近くに佐竹稲荷神社がある。江戸初期に佐竹義重の屋敷があったのがここで、佐竹義重の子孫がお稲荷さんを祭ったのが由来だそうだ。今でも秋田の佐竹家とは縁があるらしく、社殿は小ぶりだが秋田杉の立派なもので、幔幕も佐竹家の家紋が堂々と描かれている。

テーマ:東京 - ジャンル:地域情報

プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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