tyuusyo

恐ろしいな。怨恨だろうか。 https://t.co/Cx6VFiyk6n
06-24 23:18

新聞が国民の知る権利に資している、と今はなかなかいいにくいですよね。変なバイアスがどこも掛かっているからね。むしろネット媒体のほうが全文掲載したり頑張ってますよね。低減税率するならネット媒体のほうだろうな
06-24 23:15

もっとも安岡正篤は養子だそうですが。
06-24 23:05

安岡正篤の家は山内上杉から出ているらしいんですけど、詳しい系譜がどこかにないだろうか。山内上杉系統の人だから土佐藩に仕えているのだろうか?
06-24 23:05

「青江又八郎が藩主毒殺の陰謀を知って許嫁の父を斬って出奔したのは元禄十四年の暮であった」(山川静夫の声で読む)なんとなんとこの武士はスゴイ運命に巻き込まれているのでした。名作「腕におぼえあり」の原作。
06-24 22:49

ちょっとマイナーですが後の幕府御船手奉行の向井政綱が主人公です。なんとここから汚名を挽回するための奇襲攻撃という『甲陽軍鑑』『寛政譜』などに特筆大書された逆襲が始まります。
06-24 22:45

題名で分かると思いますが、居眠り侍は後の福岡藩祖・黒田官兵衛孝高です。
06-24 22:43

うだつのあがらない武士「浪人なんですよ。仕事ありますか?」口入れ屋「犬の散歩しかないけど、いいかな?」(藤沢周平『用心棒日月抄』冒頭) https://t.co/dSl6aDhWfQ
06-24 22:41

うだつの上がらない武士「あ、蚊に食われた。居眠りしているとこれだからなあ」上司「お前何しとんの?」武士「寝てました」上司「会議中やんけ!なめとるやろ!」武士「殿が連日連夜の会議で疲れたろうから休めといってましたよ?」(吉川英治『黒田如水』冒頭) https://t.co/zhkSQV9tXt
06-24 22:38

うだつの上がらない武士「あー、今日も仕事サボって魚釣り楽しいンゴねぇ…今日は大物が釣れたやで…?!お、お城が、お城が燃えてる!ワイが居ないうちに敵襲か!ど、どうしよう」(隆慶一郎『見知らぬ海へ』冒頭) https://t.co/yAuoVBnw3j
06-24 22:35

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tyuusyo

むかしは文選は科挙受験生は必ず読む本だったんですよねえ。なんだかんだ言って昭和30年代までは四書五経、文選、唐宋八家文、唐詩選、十八史略あたりはそこそこのインテリはみんな読んでいたと思うけどなー
06-23 20:48

おぢさん「「天皇になる巡り合わせ」とかそんな例じゃなくて、いっぱい持っているんじゃなかったの?はやく挙げろよ。」も大変味わい深い表現です。
06-23 20:44

皇運おぢさん対ネット民、その偉大なる足跡 https://t.co/fIishgiDcP皇運おぢさんの「その意味で「皇運」が歴史的に用いられてきた典拠を示してください」という発言、ここから怒涛の引用が始まって詰むんですよ。皇運おぢさんハンパないって。
06-23 20:43

まあ、横綱級が「皇運おじさん」だな。皇運などというのはハンディな高校生が使うような漢和辞典でも出てくる熟語で、文選に載っている漢の高祖劉邦を讃える文に出てくるんだけど、それを知らないで「勝手にでっち上げた」と言っていた人が居ましてねえ。
06-23 20:40

朱熹の論語集注などというのは寺子屋で読むような本だぞ。
06-23 20:38

論語の誤った引用でドヤっている人が居たので「その文章だとあなたの云いたいことと真逆だぞ」と言ったら恥ずかしかったのか消してたよ。小児の学問はただ論語と杜甫もいうが、論語を振り回すようなのはガキなんだよ、ロクに新註も読まねえんだから呆れちゃうよ
06-23 20:37

それにしても、保守を否定しに来る人たちが「俺は教養がある」とドヤってくる教養の貧弱さには毎度毎度苦笑させられる。私はそういうやつを見ると全力で殴り倒すんですけど、まあひどいね。
06-23 20:31

漢詩は「読む」んじゃなく「詠む」。日本語の使い方もろくにできないやつが御託を並べるなよ。ばかじゃないか。そもそも漢詩などやっていると昔は経書を読めと言われたものですぞ。この人の教養の程度が知れますな。 https://t.co/dBXTIEI0Bt
06-23 20:28

薩摩と水戸浪士に暗殺された井伊直弼。その時、陰陽師の手によって井伊は現代の団地に魔界転生した。江戸幕府で果たせなかった理想を平成の団地で。「401号室の吉田寅次郎さんを連れて来てください。管理組合として査問しなければ」「限界団地」ってこういうドラマでしょ?違うの?
06-23 16:45

地方自治体レベルとは言え重文指定されているトンデモ遺物って相当珍しいと思います。群馬は本当に文化財が多いよなあ。
06-23 16:10

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tyuusyo

#産経広告チャレンジ まあ洋服は結構見ますけど、多分アパレルのリタゲがすごく聞いてるんだと思いますね。
06-22 23:20

ガチャ回しましたけどね、なんどやっても洋服とシューズしか出てこないですよ。 https://t.co/qcYtrp9uEl「朝日新聞社員()、ノイホイ氏が3年前に通った道を通る」https://t.co/fEA7qUoAjk にコメントしました。
06-22 23:18

#産経広告チャレンジ どんどん健全になっていくぞ! https://t.co/XQ66xzRQAw
06-22 23:14

#産経広告チャレンジ ノーマルキャラのサカゼンじゃないですか! https://t.co/HYozh6XUds
06-22 23:13

#産経広告チャレンジガチャを回してもレアカードが出ないんですけど。 https://t.co/wGZEJsIBPe
06-22 23:08

#産経広告チャレンジでかい人でした https://t.co/vlhvUxlrWV
06-22 23:06

家康=曹操という見方は吉川幸次郎も子供の頃そう思ったらしいので、戦前の人の共通認識なのかねえ。
06-22 23:01

徳富蘇峰に言わせると徳川家康は「莽操懿温の徒」なのだそうだ。王莽・曹操・司馬懿・朱温(朱全忠、唐の叛臣で後梁の太祖)のお仲間って、徳富さんあなた豊臣びいきだからって随分ひでえこというなあ…
06-22 23:00

なん…だと? https://t.co/lXoOvyFOgz
06-22 22:36

tyuusyo

なんだかなぁ、これ、体に害があるような気がしますねえ https://t.co/i9coB20VgL
06-21 23:57

梅田雲浜も「大和と長州との物産を交易」するベンチャービジネスで成功して「俺が貧乏だった頃には前のかみさんに随分迷惑をかけた」と家族に話したりしているみたいですね。https://t.co/UZeP5gjwen
06-21 22:55

下級武士の内職が明治のベンチャービジネスの基礎ではないか?という主張を山本七平氏が例の福沢諭吉の「旧藩情」を引いてやっているのですが、服部之総氏も「志士と経済」で武士のベンチャービジネスについて言及したりしている。
06-21 22:53

福沢諭吉に言わせると下級武士の内職は段々進化したらしく「建具職人ばりの仕事をする匠」まで出現し、「船を購入して貿易商人を始めた人もいる」とか書いてあるのだが、そこまで行くと内職というレベルを超えていると思う。でもなぜか「内職」。江戸時代は本当に不思議です。
06-21 22:50

「廃絶録」、寛政譜のスタッフの一人小田彰信のメモという触れ込みだが、どうも著者没後も何者かが勝手に加筆していたらしく幕末まで記録があるんだぞ。「ワーイロ ワイロ ワイロ井伊ワーイロ ワイロ 高収入〜」の井伊直弼のワイロの話も何者かの加筆。
06-21 22:29

井伊直弼の減俸理由「職にある時に朝廷を悩まし、ワイロを取り、その上桜田門外の変で暗殺された件を隠蔽したため」桜田門外は言いがかりだと思うが、ワイロの話はどうも江戸時代、けっこう言われていたようなんだよな。『徳川制度』にも井伊直弼のワイロの話が出てくる。
06-21 22:19

「廃絶録」、佐倉惣五郎事件を史実扱いしている。やばい。
06-21 22:11

長男、十兵衛宗三と次男、主膳宗冬に分知されてふたりとも旗本になったから大名じゃない、という理屈みたいですね。
06-21 22:08

「廃絶録」だと柳生但馬守宗矩は死によって断絶したことになってますね。ただ「長男、十兵衛宗三」とは何者だ。「次男、主膳宗冬」もちょっと。左門くんが消されている。
06-21 22:08

長崎奉行・竹中重義改易の発端になった平野屋の女性の名前は「瑠璃」さんというそうです。おるりさんとでもいっていたのか。無双の美人だそうです。随分今風な名前だなあ。
06-21 21:55

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06/20のツイートまとめ

tyuusyo

仙台、会津、薩長土肥のような雄藩ですら官位ではせいぜい羽林家程度の扱い、という事実、公家社会の怖さが分かるなあ。薩摩と仙台は一段上の近衛中将だが、長州などは左近衛権少将どまりだしなあ。サムライブルーこと六位の人々からみればみんな雲の上だけどね
06-20 22:57

豊臣政権が徳川氏江戸藩の中で、支藩として大名扱いしたのが確実なのは井伊家の箕輪藩、本多家の大多喜藩、榊原家の館林藩、結城家の結城藩の4つだけで、小田原藩ですら大名扱いかどうか学会で議論がある始末です。それ以外は代官扱いと見たほうが良いと思います
06-20 22:35

これらの譜代小藩は、現在藩庁の所在さえも不明なものが多いのです。元々、藩というより、江戸藩の派遣した代官なので、豊臣政権からも大名として扱われておらず、寺や庄屋屋敷などを臨時に藩庁にしたり、中世の砦に住んだりしていたようです。
06-20 22:32

「江戸初期に藩庁が頻繁に変更されている譜代小藩」がなぜ多いのかと言えば、1590年に家康が江戸に転封された時に付き従った小藩が非常に多いからです。これらの藩は、三河以来の先祖の土地から急に移転したわけで、藩庁すら整えられないものも多かった。
06-20 22:29

一部の某ゲームファンにはおなじみ(?)の武蔵東方藩(ひがしかた)は1590年立藩、1601年に上野白井藩に移転しています。この場合、江戸開府以前の立藩なので、これを含めるかどうかはかなり微妙です。でも『藩史事典』は藩として扱ってますね。
06-20 21:47

「藩と旗本」の境目がはっきりしないのが原因なのと、「御三家の附家老」「御三卿」などの藩というべきか否かよくわからないものが多いのが一つの原因、もう一つは江戸初期に藩庁が頻繁に変更されている譜代小藩の扱いです。
06-20 21:41

江戸時代、藩はどのくらいあったのか。簡単に見えて奥深い問題です。定義に依って数は増減するからです。よくいわれる300藩は概数に過ぎません。延べ数で言えばもっと多くなります。600くらいあったともいわれます。
06-20 21:38

東京高裁郵便局は警備員(衛視?)さんにボディチェックされ金属探知機を潜る必要はありますが、平日日中なら誰でも利用できます。普通の郵便も出せます。多分ラブレターも、出せると思います。
06-20 00:04

プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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