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大和朝廷と魏

旧平城京
(唐招提寺金堂。大和朝廷の建築を現代に残す数少ない例の一つ)

日本の大和朝廷が三国魏に始まる中国北朝を模範としたことは福永光司氏がかなり詳しい論考を多数だしている。日本人が曹操をあまり悪人視しない理由ってひょっとしたら古代からそうなのかもしれないな。曹洞宗開祖道元の説法(正法眼蔵)にも「劉邦や曹操のようなすごい人物が日本には居ない」とか出てくるしね。

シナ南朝が北朝に対してヘイトスピーチをメチャクチャやっていたことを川合康三氏が述べており、北朝の祖というべき曹操叩きの捏造エピも随分作られていた模様。で、現代中国の指導者って南朝系なんだよなあ。習近平とか露骨に南朝皇帝の子孫だという説もあるし。南梁の簫氏が習氏に改めたともいう。

台湾の客家って元々北朝の人が移住しているんだよなあ。北朝=日本・台湾、南朝=現代中国と考えるとなかなか面白い。文化をたどっていくと面白いね。もっともこれだけで全てが語れるわけでもないだろうけども。

親日的な中国系の人は客家が多いというのも面白い。李登輝さんも客家だとか。

昨日ツイッターでつぶやいたことを加筆。
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魏延の家系

百度百科 魏氏
http://baike.baidu.com/view/33735.htm?from_id=2659700&type=syn&fromtitle=%E9%AD%8F%E6%B0%8F&fr=aladdin

魏延の氏である魏氏について色々書かれているのだが、魏延の本貫である義陽(現・河南省南陽市)に近い魏氏
というのはいないようである。実は『三国志全人名辞典』にも、義陽に近い魏氏は出てこないのであった。

『三国志全人名辞典』に出てくる魏氏の人名を上げておく。

魏越 呂布の武将
魏延 義陽の人、蜀の征西大将軍
魏舒 任城の人 晋の重臣
魏続 呂布の武将
魏遷 呉の名士 上虞の人
魏騰 上虞の人
魏バク 呉の人
魏諷 沛の人
魏平 魏の金城の守将
魏攸 右北平の人
魏朗 魏騰の祖父 後漢河内太守
魏狼 蜀の少数民族の長

呉の「上大将軍」は「大将軍」より下か~叔嗣氏の新説について

最近、三国時代の官制研究で意欲的な論考を出しておられる、歴史サイト「歴華泉」の叔嗣氏が、「陸遜の上大将軍は、諸葛瑾の大将軍より下位である。」
(http://rekishiizumi.web.fc2.com/4/5.html)という説を出された。

叔嗣氏の論考については正史三国志原文や諸子を踏まえた堅実なものだが、この説については既存研究が誤っていることも有り、私はいささか勇み足ではないかと考えるのである。なぜなら元の胡三省が「陸遜の上大将軍は、呉の新設官位で、諸葛瑾の大将軍より上位である。」と述べているからである。

1)「東洋歴史大辞典」の誤謬
「東洋歴史大辞典」より
春秋時代の晋の獻公が上軍将軍を置き楚の懐王が宋義を上将軍に任じが、上将軍の名号が始めて見えるのは前漢初に呂録が上将軍に任じられた時である。その後はしばらく見られないが、三国時代になり曹真や陸遜を上大将軍に任じ大将軍の上の位とされた。(引用は「歴華泉」より)

そもそも、叔嗣氏が引くこの辞典の記述は誤りがあるようだ。というより、この辞典の編者はどこかから孫引きをしたものではないかと思うほど間違いだらけである。大きい字で書いた所は全て誤り若しくは疑問である。もっともこの辞典は昭和12年のものなので、その頃の辞書作りはどこもいい加減であった。これは叔嗣さんというより辞書が悪い。

まず「上将軍の名号が始めて見えるのは前漢初に呂録が上将軍に任じられた時である。」というのがダメ。
資治通鑑周紀 《赧王中》 三十一年には、
 「燕王悉起兵,以樂毅為上將軍。〔上將軍,猶春秋之元帥。帥,所類翻。〕」
(燕王はことごとく兵を起こし、楽毅を上将軍とした。胡三省いわく、上将軍は、春秋時代の元帥と同じようなものである。(反切略))…同様の記述が史記燕召公世家にもある。楽毅を知らないんですかねぇ、この辞書の編者は。

また、史記の注釈書「史記正義」には、『會稽典録云:「范蠡字少伯,越之上將軍也。」』とあり、陳嘉炎・左言東『中国官制縦横談』(新華出版社)では、これを上将軍の語の初出としている。史記正義をどこまで信用するのかという問題になるが、少なくとも老子に出てくる官職が漢初に初めて出てくるというのは考えにくい。やはり春秋戦国の頃にすでにあったのだろう。また、後漢書にも「上將軍隗囂」というのが出てくるので、その後置かれなかったというのも間違い。

山川出版社 「中国史1 先史~後漢」もどうかと思う。
「 山川出版社 「中国史1 先史~後漢」より
大将軍は三公に比せられ、驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍がそれに次ぎ、さらにそれに次ぐ者として驍騎将軍・上将軍・伏波将軍などがある。」
というのだが、宋書百官志には「漢東京大將軍自為官,位在三司上。」(後漢の大将軍は三公の上)とあるので、これまたダウトである。前漢では確かに大将軍=三公だったので、制度の変遷を多分忘れているのだと思う。驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍もおかしいのだが、それは又別の機会に触れたい。叔嗣さんは通典が元ネタではないかと推測しておられるが、通典は有名な史書だが唐代のものだから宋書より資料価値はやや劣るのではないか。なにしろ宋書はあの裴松之のお仲間が書いたものが元になっており、裴松之は三国時代の生き残りに取材しているのだから…

2)胡三省の見解「上大将軍は大将軍の上である」
 元の学者で胡三省という人がいた。この人はとにかく正史・野史をメチャクチャ研究した人で、30年掛かりで資治通鑑の注を書いた人である。その資料価値は、私の大先輩の宣和堂さんの文章に詳しいのでそれを引く。
「胡注は《資治通鑑》の注釈という枠にとどまらず、歴代史書の注釈の中でも最も評価が高い。下手をすると司馬光の本文よりも胡三省の注釈の方が資料価値が高いとすら言われることがあるくらいである。史炤の《資治通鑑釈文》を参考にしたと言っても、ほんの一部に過ぎないし、分量もレベルも格段の差がある。
 胡注は特に地理に関する注釈で評価が高く、地名の異同、州県の建置離合については他の追随を許さず、却って正史の注に胡注が引用されている。また、胡三省の注釈は地理だけにとどまらず、行政沿革、軍事外交、制度の変遷から、訓詁字義、博物地理などにも高いレベルの注釈が施されており、《資治通鑑》の記事の全容がこれによって明らかになるのである。細かいところでは、人名の呼称が文章の前後で不統一になっている所などの注は有り難い。
 まさに胡三省という人物が三十年の歳月を費やしたという、圧倒的な《資治通鑑》研究の成果が胡注という形で実を結んでいるのである。(http://www.geocities.jp/zizhitongjianjp/tugan2.html)」

実は、この胡三省が「上大将軍」について書いているのである。

魏紀 第071卷 魏紀三 (AD228–AD230)  《烈祖明皇帝上之下》 三年 p-2256
 九月,吳主遷都建業,皆因故府,不復增改,〔復扶又翻。〕留太子登及尚書九官於武昌,〔九官,九卿也。〕使上大將軍陸遜輔太子,并掌荊州及豫章三郡事,董督軍國。〔吳於大將軍之上復置上大將軍。三郡,豫章、鄱陽、廬陵也。三郡本屬揚州,而地接荊州,又有山越,易相扇動,故使遜兼掌之。

 原文の意味は正史三国志と同じだから略す。
 胡三省は以下のように言う。「呉は大將軍の上に復た上大將軍を置く」
 そう、呉は上大將軍を新設したのだというのである。胡注の別の箇所でも呉の上大將軍新設について触れられているので、多分、これはエポックメーキングなことなのだろう。

 (随時加筆訂正します)

晋書のおバカ記事で打線組んだww

一部で人気の鐘なんとかさんに負けじと、晋書も本気を出すことにした。

1(二)孝行の徳!冬にたけのこが突然生える(孟宗伝)
2(遊)孝行の徳!冬の湖の氷が溶けた(王祥伝)
3(中)司馬家大スキャンダル!皇后が牛金と不倫発覚!(中宗元帝紀)
4(三)怪人!司馬懿、首180度回転!曹操ア然(高祖宣帝紀)
5(一)突然行方不明になっていた杜ソウさん、道端で発見(杜ソウ伝)
6(右)牛がしゃべった!あんた信じるか!(五行志)
7(左)干宝さん宅のメイドさん、生き埋めから10数年後、復活!(干宝伝)
8(捕)絶好調!張華さん、龍の肉食った!(張華伝)
9(投)中国のモーゼや!呉猛さん、長江を割る!(芸術伝・呉猛条)

全盛期のアライバにも比すべき1番・2番の「孝行の徳」の俊足巧打コンビに、
牛金・司馬懿・杜ソウというクリーンナップの重量打線など中々の布陣ではないかと思う。
なお、呉猛ー張華のバッテリーは田中将ー嶋に匹敵する名コンビではないか。
テイスト的にはメンチコピペと飛べ!必殺うらごろしがゴッチャになっているがご勘弁いただきたい。

「吳猛,豫章人也。少有孝行,夏日常手不驅蚊,懼其去己而噬親也。年四十,邑人丁義始授其神方。因還豫章,江波甚急,猛不假舟楫,以白羽扇畫水而渡,觀者異之。」(芸術伝呉猛伝)

いや、「江の波、甚だ急」な状態なのに白羽扇でサクッと川面を割って渡るとか、「觀者異之」どころじゃないだろ・・・

三国志おすすめ書籍

三国時代のことを書いた本は山のようにあるし、ボクも山のように読んできた。
ただ、その中でお勧めできる本は一握りである。中国書・日本書問わず色々上げてみよう。

1,正史三国志関係
百衲本三国志(台湾商務印書館)
 現存最古の正史三国志の版本を復刻したもの(影印本)。中華書局版の恣意的な本文改変を嫌うのであれば
これを読むしかない。一時期こればかり読んでいたが、最近は流石に疲れるので中華書局版も見るようになった。
三国志(中華書局)
 ネット上に転がっている正史三国志の原文はこれである。ところが、これ、高島俊男氏が指摘するように、
「劉備軍をヒイキするような妙な本文改変がある」という欠点がある。こーゆーのを金科玉条のごとく崇めるのは
ちょっとねえ。手頃で読みやすいからいいけどねー。
三国志選注
 これが日本の三国志読みの間で何の話題にもなっていないのはオカシイのではないか?
 正史三国志の文章には、実は結構読みづらい箇所がある(例:呉書呉主伝の評「孫權屈身忍辱任才尚計有勾踐之奇英人之傑矣」)。有勾踐之奇英人之傑矣を、駒田信二は「勾踐の奇英あり。人之傑なり」と読んで奇英という言葉の意味は良くわからないとしているが、この本では「勾踐の奇、英人之傑なり」と読み、注釈で「100人の人に優れるのを英という」としている。そういう原文の一字一句の訓詁は随分日本の三国志読みの間ではいい加減だと思う。三国志選注はそういう点をかなり真面目にやっている。もっと評価されていい本だ。中国書取扱店でも入手困難だが。
三国志集解
 知る人ぞ知る正史三国志の注釈だが、高島俊男氏が「これさえあれば従来の『三国志』研究がすべて居ながらにして見られるわけだ。無論陳寿の本文も裴松之の注もある。要するにもうほかにはなんにもいらないという、重宝この上ない本である」というのはかなり褒め過ぎだと思う。読むと分かるが、これ訓詁が弱く、地理関係に異様な力が入っているんですよ。これは清朝考証学における三国志研究が専ら地理の検討が主だった影響だと思う。多分、清朝の文字の獄を恐れて一番無害な地理研究ばかりになったのではないだろうか。今の中国と一緒で、政治的なことを下手に書くと変な難癖を付けられて処刑されかねなかった訳で、その影響が随所にある。あと、他の正史の引用も多少あるが、やはり省略が多いので、これだけに頼るのはかなり危険。あと、宮崎市定先生が断じている通り、清朝考証学者で三国志を研究した人は、一流の学者がいなかったとされている。従って、集解に引く学者の説は、どうかと思うものもある。
 例えば孫策伝集解の王懋竑の説「孫策は張昭・虞翻など一流を登用できた。武力だけの人ではないのだ。それに引き換え孫権と来たら、陸遜を使いこなせず、二流の呂蒙・凌統・甘寧など、孫策が登用した人物に比べればカスのような奴しか取れなかった。孫権が天下が取れないのは当たり前だ」という話は、学者としても少々見識を疑うところだ。張昭・虞翻って、そんなにすごかったかなあ。

2,三国志以外の歴史書
資治通鑑
 やっぱり読むべきでしょう。陳寿や裴松之をさんざん読み込んで、相当苦労して考えた後が見て取れますし、見識も高いです。胡三省の注も分かりやすく大変勉強になります。司馬遷『史記』と並ぶ二大名著と言われるだけのことは有ります。
私が大学で教えていただいた石川忠久先生が司馬光の評論とそれに付随する部分だけを訳した『資治通鑑選』(平凡社中国古典文学大系)は、部分訳ですけれども非常に素晴らしいものです。今は原文全文が中国語版ウィキにも上がっているので随分楽になりました。晋書より通鑑の方が当てになる(注:司馬光が今は消滅した五胡十六国各国の正史を読んでいて、そこから書いているため)というのもひどい話だが、ある意味事実です。
晋書
 腐れ縁というか、この本とも随分長い付き合いですが、どうも芸能週刊誌的というか、サイゾーとか週刊新潮のようなノリなんですよねえ。ただ、これ以外に晋代のまともな史料は殆どゼロですので、読まざるをえないというところです。
十八史略
 三国時代から魏晋南北朝の部分はどうも資治通鑑の略本のような作りですね。原文併載のもの(明治書院版と徳間文庫版)がおすすめ。くれぐれも、「新十八史略」や「小説十八史略」を読んで十八史略を読んだ気にならないで欲しいところです。あれは別物だし、十八史略原文に比べるとどうかと思うところが多いです。面白いところが取られず、変なところや歴史演義モノのネタが紛れ込んでいて、どうかと思います。
宋書
 三国志注でお馴染み、裴松之の親友・何承天が原型を作ったもの。裴松之注のノリで魏晋史の短命王朝の
散逸した史料をスタッフが一生懸命、一生懸命探して書いたことが評価され、晋書と違い後世の評価も高い。とくに志部分がいいですね。三国時代の地理はこの人達が随分調べています。四庫全書総目提要では「楽志は聖人の
教えを守り散逸した史料を集め、よくわからないものは句読を切らず後ろに付録としてつけている。
義例としてもっとも宜しい。」と褒めています。三国時代の漢詩を一生懸命集めてくれたので、我々が曹操の詩を読めるのは彼他のお陰です。呉の孫権が作らせた下手な漢詩は必見?!三国志ファンにはもっと知られてもいい本でしょう。あ、雄略天皇(倭王武、ヤマトタケルのモデルとされる)の雄大な上表文も読めます。古代日本人が中国に全く屈せず、堂々と権利を主張したことはもっと知られてもいいでしょう。
魏書(北魏書)
 曹操後継を称した元魏の正史。まあ、ここまで来ると読まなくてもいいでしょう。台湾ドラマ「北魏馮皇后」の元ネタ。著者・魏収(魏延の子孫ではなく、前漢の魏無知の子孫だといっている)がオリラジの藤森慎吾もかくやという有名なチャラ男で、編纂作業中にキーセンパーティーをやらかしていたことが発覚。
読者から「俺の先祖を悪く書いた」とクレームも出たため、「汚い歴史」と言われている。
なお、四庫全書総目提要や塚本善隆老師によると「たしかに著者はチャラいけど、先祖がどうのとかいう話、あれは言い過ぎ。そんなにひどい歴史書じゃないよ」とのこと。
 三国志関係の記述は薄め。ただ、東晋の司馬叡のことを「牛金のセガレであって司馬一族じゃない!」と言ってるのはある意味すごいです。
3,三国志演義関係書
三国志演義(中国各社)
 毛本は中国書取り扱い書店なら割と簡単に入手可能。漢文としては口語がまじりますが割と読みやすいでしょう(少なくとも晋書よりは)。原文で読むと、漢詩が読めるのがいいですね。以前、石川忠久先生に「三国志演義など、白話小説の漢詩はかなりくだらないという人がいるのですが、どうでしょうか?」とお聞きしたら「そんなことはないです。白話小説でも特に紅楼夢の詩はいいですよ」と教えていただいたことがあります。羅貫中なかなか詩人ですよ。唐の胡曾みたいなプロの漢詩人の詩も入っています。演義の訳本で漢詩を省いているものも有りますが、あれはちょっといただけないと思います。
三国志演義(立間祥介訳)
 まあ、これが一番面白いですね。訳も日本語としてこなれていると思います。学界での評価も高い(あの辛口の高島俊男氏が褒めているぐらいですから)。漢詩は漢文書き下し。
三国志演義(村上知行訳)
 これはこれで面白いのですが、漢詩の訳がちょっと頂けない。「董卓は怪獣ゴジラか?」とかいう訳文。あれ誰も止めなかったのかよ…

あと色々ありますが、吉川英治版は最早古典として別格でしょう。最近のものでは北方謙三版が私は好きですね。どちらかといえば正史三国志の小説版だと思いますが。文章が非常に漢文脈でメリハリがあって素晴らしいと思います。

4,三国時代の概説書
5,三国時代の専門書
6,その他雑書

これはまたあとで書きます。
プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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