古文観止(こぶんかんし)
古文観止(こぶんかんし)とは、漢文のジャンルの内「古文」の名作ばかりを集めた、いわば「漢文名作集」である。タイトルを今の日本の新書風に訳せば、「漢文、この名作は観(み)ておけ!」とでもなるだろうか。いわば、絶対に読んでおくべきだと編者が考えた文章ばかりを集めてあるのである。編者は清の呉楚才。成立は清の康熙三十四年(西暦1694年)。
成立年代の西暦1694年は、日本で言えば元禄7年、高田馬場で堀部安兵衛が助太刀をした年だ。ちょっと前のNHK正月ドラマにもなったからご存知の人も多いだろう。いわゆる高田馬場の決闘である。池波正太郎の名作「堀部安兵衛」が原作であった。
その前の年には新井白石が甲府藩に仕えている。藤沢周平が「市塵」で描写しているあたりである。
忠臣蔵の吉良邸討ち入りはこの8年後、という所から時代背景を察してもらいたい。
儒者で言えば、古学の祖・伊藤仁斎は京都堀川の古義堂で弟子3000人に論語・孟子を講じつつあり、
前々年、元禄5年に千葉の茂原から江戸に出てきた荻生徂徠は、芝増上寺の裏、後の昭和三十年代に東京タワーが立って三丁目の夕日の舞台になる所の当たりで、知り合いの屋敷からもらってきた古文辞学の本を苦労して学んでおり、お豆腐屋さんからおからをもらって食いつないでいた頃である。
中国も康熙帝の御代、江戸時代の日本と同じくひどく平和であった。
春秋左氏伝、戦国策に始まり明の文章まで二百二十二篇を集めている。中国では非常によく読まれた本だが、日本では余り受けなかった、というよりほとんど無名の本である。なぜか。
既にこの頃、江戸では同様の古文名作集である、元の黄堅が編んだ「古文真宝(こぶんしんぽう)」が大流行しており、カチンコチンの人間をからかって、「古文真宝なやつだ」などというしゃれ言葉があったぐらいである。
それと内容が重複し、かつ「古文観止」の方が余り有名でない作品が多いのである。
例えば、この本が出て100年後の元文5年[西暦1740年]には、京都堀川の書店から「諸儒箋解古文真宝後集」(しょじゅせんかい・こぶんしんぽう・こうしゅう)という本が出ている。古文真宝に更に注釈をつけた本であるが、これは相当売れたらしい。この本は重版である。今でも神保町でたまにワゴンセールされているが、以前ついていた値段は500円だった。要するにたくさん売れたので骨董的な価値はゼロなのである。画像は早稲田大のホームページにある。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i13/i13_00993/index.html
●古文真宝と古文観止
古文真宝と古文観止を比べると、なんと古文観止には南宋の文章がスッポリと抜けているのである。北宋もなぜか唐宋八大家以外はほとんど取っていない。朱子学関係は全て抜けている。朱子学で有名な張載(張横渠)の「西銘」「東銘」、周敦頤(周茂叔)の「愛蓮の説」が落ちている。これは意図的なものだろう。王陽明の文章が3つ入って朱子学関係が0というのは、わざと以外は考えにくい。呉楚才というヒトは隠れ陽明学者か何かで、当時おおっぴらにいえなかった陽明学を宣揚するために、わざとこのようなものを作ったのかと思うくらいだ。
周茂叔の「愛蓮の説」は日本人が割りと好きな漢文で、蓮の花を詠った文章として、良く読まれている。レンコンの和菓子のパッケージにこれを書いたものがあるくらいだ。これが落ちているとちょっと売れないだろう。その代わりに明代の方孝孺(ほうこうじゅ)の「予譲論」などが入っているのですね。予譲は史記に登場する刺客の一人。日本では全く人気がない。山本周五郎が予譲を徹底的にバカにした「よじょう」という、小説を書いているくらいである。これはダメでしょう。
成立年代の西暦1694年は、日本で言えば元禄7年、高田馬場で堀部安兵衛が助太刀をした年だ。ちょっと前のNHK正月ドラマにもなったからご存知の人も多いだろう。いわゆる高田馬場の決闘である。池波正太郎の名作「堀部安兵衛」が原作であった。
その前の年には新井白石が甲府藩に仕えている。藤沢周平が「市塵」で描写しているあたりである。
忠臣蔵の吉良邸討ち入りはこの8年後、という所から時代背景を察してもらいたい。
儒者で言えば、古学の祖・伊藤仁斎は京都堀川の古義堂で弟子3000人に論語・孟子を講じつつあり、
前々年、元禄5年に千葉の茂原から江戸に出てきた荻生徂徠は、芝増上寺の裏、後の昭和三十年代に東京タワーが立って三丁目の夕日の舞台になる所の当たりで、知り合いの屋敷からもらってきた古文辞学の本を苦労して学んでおり、お豆腐屋さんからおからをもらって食いつないでいた頃である。
中国も康熙帝の御代、江戸時代の日本と同じくひどく平和であった。
春秋左氏伝、戦国策に始まり明の文章まで二百二十二篇を集めている。中国では非常によく読まれた本だが、日本では余り受けなかった、というよりほとんど無名の本である。なぜか。
既にこの頃、江戸では同様の古文名作集である、元の黄堅が編んだ「古文真宝(こぶんしんぽう)」が大流行しており、カチンコチンの人間をからかって、「古文真宝なやつだ」などというしゃれ言葉があったぐらいである。
それと内容が重複し、かつ「古文観止」の方が余り有名でない作品が多いのである。
例えば、この本が出て100年後の元文5年[西暦1740年]には、京都堀川の書店から「諸儒箋解古文真宝後集」(しょじゅせんかい・こぶんしんぽう・こうしゅう)という本が出ている。古文真宝に更に注釈をつけた本であるが、これは相当売れたらしい。この本は重版である。今でも神保町でたまにワゴンセールされているが、以前ついていた値段は500円だった。要するにたくさん売れたので骨董的な価値はゼロなのである。画像は早稲田大のホームページにある。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i13/i13_00993/index.html
●古文真宝と古文観止
古文真宝と古文観止を比べると、なんと古文観止には南宋の文章がスッポリと抜けているのである。北宋もなぜか唐宋八大家以外はほとんど取っていない。朱子学関係は全て抜けている。朱子学で有名な張載(張横渠)の「西銘」「東銘」、周敦頤(周茂叔)の「愛蓮の説」が落ちている。これは意図的なものだろう。王陽明の文章が3つ入って朱子学関係が0というのは、わざと以外は考えにくい。呉楚才というヒトは隠れ陽明学者か何かで、当時おおっぴらにいえなかった陽明学を宣揚するために、わざとこのようなものを作ったのかと思うくらいだ。
周茂叔の「愛蓮の説」は日本人が割りと好きな漢文で、蓮の花を詠った文章として、良く読まれている。レンコンの和菓子のパッケージにこれを書いたものがあるくらいだ。これが落ちているとちょっと売れないだろう。その代わりに明代の方孝孺(ほうこうじゅ)の「予譲論」などが入っているのですね。予譲は史記に登場する刺客の一人。日本では全く人気がない。山本周五郎が予譲を徹底的にバカにした「よじょう」という、小説を書いているくらいである。これはダメでしょう。
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