待乳山聖天への祈願と修証義
待乳山聖天宮様には、ここしばらく祈願に通っていた。
熱心に願っている方々のサイトもあり、大変勉強になる。
大聖歓喜天様(聖天様)ご利益まとめサイト
http://kangiten.goraikou.com/
ようやく目的の願いも叶うことが出来たので、祈願の仕方とか、心の持ちようとか、
少し書いておきたい。
◯お経について
初めは待乳山聖天の礼拝作法に掲載されている通りに全て読んでいたが、
実際にやると1時間は優に掛かり、多忙な平日の朝などはなかなか難しい。
そこで待乳山聖天のお坊様に質問して教えていただいたのだが、
多忙な折は、
「浴油祈願中でも般若心経と聖天真言三遍で十分である」ということだった。
確かに教学的には、般若心経のご利益を述べている「行人得益分」は、
「般若理趣経」百字偈と近い内容ということもあるし、※
儀軌類でも真言三遍は必要最低限となっている。
※般若心経「行人得益分」と「般若理趣経」百字偈の内容相似については、
真言の大家だった故・金岡秀友師の『般若心経』(講談社学術文庫)、
127ページから144ページに詳しい。
だから、必要最低限ミニマムなお経というとこれになるのだろう。私は、時間が厳しい時は
般若心経の冒頭の
「佛説摩訶般若波羅蜜多心經 觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」
だけを唱え、最後の「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心經」と組みにして、
真言三遍とセットでやっていた。これは中抜きといって、屋外でやる不動護摩の時に唱える簡略版である。
これでご勘弁を、という気持ちでやっていた。時間がある時は無論フルセットである。
これでなんとか願いを叶えていただいたので、ご参考までに書いておく。
◯観音経について
できるだけ読んだほうがいいと思うし、簡略版の十句観音経でもいいので、やったほうがいいと思う。
というのは、聖天様の本地が観音さまであるし、古来聖天様に祈願するときには観音経は必ず読経していた
(眞鍋俊照師による)というからである。
◯どうしても願いが中々かなわないとき
こういう時くらい悩むものはないと思う。私も何度も迷った。
私は仏教関係の記事を前からいろいろな媒体で書いていたし、もう物故したが禅宗系の天部行者も
父の知り合いでいて、多少教えてもらっていたので、多少は分かっているつもりだったが、
全然分かっていなかったということが今回改めてわかった。
本当に悩んでいる時は付け焼刃の知識など中々役に立つものではないのですね。
実は、なかなか願いがかなわない時は「神仏がまだ時期ではないと考えている」というように考えるべきだと
法華経の古来の注釈では解釈しており、父や行者の方にもそう指導していただいていたのだが、
悩みの渦中にいる時にはアタマでそう理解できても、心中では全然納得出来ない。苦しいものだ。
本当のことを言うと「神仏は本当に願いを叶えてくれるのか」と悩んだことも一度や二度ではなかった。
願いもそれほど難しいものでもないように思ったのだが、切実なものであり、正直参った。
そういう時の対処方法として、幾つか資料をあさってやってみて、効果があったものを少し書いておきたい。
1,願望を紙に書き、目標達成ができつつあると毎日思う。
2,道元禅師の『修証義』(しゅしょうぎ)を読経する
3,他の神仏にも祈願する
4,ビジネス書の古典を読む
1,願望を紙に書き、目標達成ができつつあると毎日思う。
これは禅僧で、飛騨の円空庵禅通寺(聖天様を祀る)で修行した無能唱元氏の薦めている方法である。
詳しくは同氏の本を参照されたい。これをやると大分精神的に楽になるし、達成も早くなるようだ。
2,道元禅師の『修証義』(しゅしょうぎ)を読経する
これは亡くなった天部行者の方がいつも祈祷の時にやっていたもので、何の意味があるのか当時は
サッパリ分からず、「道元さんは祈祷と関係ないだろうになあ」と思っていた。
ところが、学研の「加持祈祷の本」やら、道元禅師関係の論文を読むと、
道元禅師は天候祈願を永平寺の近所の農民が困っている時にやっていた、その手法は説法が主だった
と書いてあり、道元禅師の説法をまとめた『修証義』を読むのは意味があることだったのだ。
特に第三章
第三章(受戒入位)
には、「徒(いたづら)に所逼(しょひつ)を怖れて山神鬼神等に帰依し、或は外道の制多(せいた)に帰依すること勿れ。彼は其(その)帰依に因りて衆苦(しゅく)を解脱すること無し、早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて、衆苦を解脱(げだつ)するのみに非(あら)ず菩提を成就(じょうじゅ)すべし。」
「此(この)帰依仏法僧の功徳、必ず感応道交(かんのうどうこう)するとき成就するなり、設(たと)い天上人間地獄鬼畜なりと雖(いえど)も、感応道交すれば必ず帰依し奉るなり、已(すで)に帰依し奉るが如きは生生世世在在処処に増長し、必ず積功(しゃっく)累徳し、阿耨多羅(あのくたら)三藐(さんみゃく)三菩提を成就するなり」という部分があるのでよく唱えていた。これは聖天様に寄せて考えれば、
「聖天様に付属している障礙神のマゴラカにタタリを恐れて祈願することはしません、そこに頼んでもご利益がないのですから。神仏に祈願してこの状況を打開して、より大きな理想に導かれますように」
「この祈願により聖天様と意思疎通が出来、その功徳が段々積み重なり、目標が達成可能になります」とも
考えられるのではないか(素人の勝手読みかもしれないが)。
なお、禅宗の天部祈祷では修証義はよく使われる。正式には祈祷太鼓を使うのだが読経だけでも験は出るのではないか。
3,他の神仏にも祈願する
4,ビジネス書の古典を読む
これは別の機会に説明したいが、私は不動尊が性に合っているのでよくお参りしていた。それから、やはり欧米者のビジネス書の古典(思考は現実化する、7つの習慣、史上最強の商人のような、評価が定まっているもの)はさすがに良いことを言っている。忍耐が大事だということが解る。日本の最近の安易なビジネス書はやめたほうがイイと思う。
熱心に願っている方々のサイトもあり、大変勉強になる。
大聖歓喜天様(聖天様)ご利益まとめサイト
http://kangiten.goraikou.com/
ようやく目的の願いも叶うことが出来たので、祈願の仕方とか、心の持ちようとか、
少し書いておきたい。
◯お経について
初めは待乳山聖天の礼拝作法に掲載されている通りに全て読んでいたが、
実際にやると1時間は優に掛かり、多忙な平日の朝などはなかなか難しい。
そこで待乳山聖天のお坊様に質問して教えていただいたのだが、
多忙な折は、
「浴油祈願中でも般若心経と聖天真言三遍で十分である」ということだった。
確かに教学的には、般若心経のご利益を述べている「行人得益分」は、
「般若理趣経」百字偈と近い内容ということもあるし、※
儀軌類でも真言三遍は必要最低限となっている。
※般若心経「行人得益分」と「般若理趣経」百字偈の内容相似については、
真言の大家だった故・金岡秀友師の『般若心経』(講談社学術文庫)、
127ページから144ページに詳しい。
だから、必要最低限ミニマムなお経というとこれになるのだろう。私は、時間が厳しい時は
般若心経の冒頭の
「佛説摩訶般若波羅蜜多心經 觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」
だけを唱え、最後の「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心經」と組みにして、
真言三遍とセットでやっていた。これは中抜きといって、屋外でやる不動護摩の時に唱える簡略版である。
これでご勘弁を、という気持ちでやっていた。時間がある時は無論フルセットである。
これでなんとか願いを叶えていただいたので、ご参考までに書いておく。
◯観音経について
できるだけ読んだほうがいいと思うし、簡略版の十句観音経でもいいので、やったほうがいいと思う。
というのは、聖天様の本地が観音さまであるし、古来聖天様に祈願するときには観音経は必ず読経していた
(眞鍋俊照師による)というからである。
◯どうしても願いが中々かなわないとき
こういう時くらい悩むものはないと思う。私も何度も迷った。
私は仏教関係の記事を前からいろいろな媒体で書いていたし、もう物故したが禅宗系の天部行者も
父の知り合いでいて、多少教えてもらっていたので、多少は分かっているつもりだったが、
全然分かっていなかったということが今回改めてわかった。
本当に悩んでいる時は付け焼刃の知識など中々役に立つものではないのですね。
実は、なかなか願いがかなわない時は「神仏がまだ時期ではないと考えている」というように考えるべきだと
法華経の古来の注釈では解釈しており、父や行者の方にもそう指導していただいていたのだが、
悩みの渦中にいる時にはアタマでそう理解できても、心中では全然納得出来ない。苦しいものだ。
本当のことを言うと「神仏は本当に願いを叶えてくれるのか」と悩んだことも一度や二度ではなかった。
願いもそれほど難しいものでもないように思ったのだが、切実なものであり、正直参った。
そういう時の対処方法として、幾つか資料をあさってやってみて、効果があったものを少し書いておきたい。
1,願望を紙に書き、目標達成ができつつあると毎日思う。
2,道元禅師の『修証義』(しゅしょうぎ)を読経する
3,他の神仏にも祈願する
4,ビジネス書の古典を読む
1,願望を紙に書き、目標達成ができつつあると毎日思う。
これは禅僧で、飛騨の円空庵禅通寺(聖天様を祀る)で修行した無能唱元氏の薦めている方法である。
詳しくは同氏の本を参照されたい。これをやると大分精神的に楽になるし、達成も早くなるようだ。
2,道元禅師の『修証義』(しゅしょうぎ)を読経する
これは亡くなった天部行者の方がいつも祈祷の時にやっていたもので、何の意味があるのか当時は
サッパリ分からず、「道元さんは祈祷と関係ないだろうになあ」と思っていた。
ところが、学研の「加持祈祷の本」やら、道元禅師関係の論文を読むと、
道元禅師は天候祈願を永平寺の近所の農民が困っている時にやっていた、その手法は説法が主だった
と書いてあり、道元禅師の説法をまとめた『修証義』を読むのは意味があることだったのだ。
特に第三章
第三章(受戒入位)
には、「徒(いたづら)に所逼(しょひつ)を怖れて山神鬼神等に帰依し、或は外道の制多(せいた)に帰依すること勿れ。彼は其(その)帰依に因りて衆苦(しゅく)を解脱すること無し、早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて、衆苦を解脱(げだつ)するのみに非(あら)ず菩提を成就(じょうじゅ)すべし。」
「此(この)帰依仏法僧の功徳、必ず感応道交(かんのうどうこう)するとき成就するなり、設(たと)い天上人間地獄鬼畜なりと雖(いえど)も、感応道交すれば必ず帰依し奉るなり、已(すで)に帰依し奉るが如きは生生世世在在処処に増長し、必ず積功(しゃっく)累徳し、阿耨多羅(あのくたら)三藐(さんみゃく)三菩提を成就するなり」という部分があるのでよく唱えていた。これは聖天様に寄せて考えれば、
「聖天様に付属している障礙神のマゴラカにタタリを恐れて祈願することはしません、そこに頼んでもご利益がないのですから。神仏に祈願してこの状況を打開して、より大きな理想に導かれますように」
「この祈願により聖天様と意思疎通が出来、その功徳が段々積み重なり、目標が達成可能になります」とも
考えられるのではないか(素人の勝手読みかもしれないが)。
なお、禅宗の天部祈祷では修証義はよく使われる。正式には祈祷太鼓を使うのだが読経だけでも験は出るのではないか。
3,他の神仏にも祈願する
4,ビジネス書の古典を読む
これは別の機会に説明したいが、私は不動尊が性に合っているのでよくお参りしていた。それから、やはり欧米者のビジネス書の古典(思考は現実化する、7つの習慣、史上最強の商人のような、評価が定まっているもの)はさすがに良いことを言っている。忍耐が大事だということが解る。日本の最近の安易なビジネス書はやめたほうがイイと思う。
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