江戸しぐさによると、桶狭間の戦いは秀吉の謀略、太田道灌は「大田同感」だそうです

江戸しぐさ公式サイトに、シリーズ「江戸しぐさの誕生とその系譜」(全30話)という連載コラムが出ている。
http://www.edoshigusa.org/about/
定款の上に出しているところから見ても、署名が副理事長の桐山勝氏(故人)名義だという所を見ても、「江戸しぐさ」の重要文書であることはわかる。ところが、これがあ然とするような誤りだらけなのだ。
既に指摘したように、東海林太郎(秋田市出身)を江戸しぐさ伝承者としたり、いささか香ばしい文書ではあるのだが、細かく見ていくと恐ろしい。

「桶狭間の戦いは秀吉の謀略!」とか書いてあるんだけど、
http://www.edoshigusa.org/about/genealogy1/05/
http://megalodon.jp/2013-1014-0955-22/www.edoshigusa.org/about/genealogy1/05/(ウェブ魚拓)

戦国武将たちはまず戦う集団を組織した。信長はその典型で「桶狭間の戦い」では情報戦に力を入れ、今川義元の本陣深く入り込み、勝利を挙げた。その背景には秀吉が仕組んだ謀略があった事が次第にわかってきている。

おいちょっと待て。それ、史料に何も書いてないから。秀吉の自筆文書は桶狭間の5年後まで確認できないから。
その背景には秀吉が仕組んだ謀略があった事が次第にわかってきている。」って、信長公記はおろか、武功夜話にも太閤記にも桶狭間で秀吉が何やったか書いてないから。これにかぎらず、江戸しぐさ関係者は小説に影響されすぎ。公式サイトに史料からの引用が殆ど無く、時代小説の引用が多いってのもなあ…歴史関係の専門家がいかに関わっていなかったかがよく分かる。

http://www.edoshigusa.org/about/genealogy1/08/
http://megalodon.jp/2013-1014-2041-53/www.edoshigusa.org/about/genealogy1/08/(ウェブ魚拓)

入府当時、一帯は芦が茂る湿地帯だったとされる。しかし、大田同感が江戸城を築いた1457(長禄元)年ころから平河口という物流の拠点を持つ、水陸交通の幼少だったという。

江戸城築城者の名前を間違っているような人に江戸を語ってもらいたくないなあ。『江戸名所図会』でも、『江戸から東京へ』でも、江戸っ子の元祖として太田道灌に敬意を評して巻頭に持ってきているんだがなあ…大田同感はないだろ…
http://www.edoshigusa.org/about/genealogy3/25/
http://megalodon.jp/2013-1014-2043-26/www.edoshigusa.org/about/genealogy3/25/(ウェブ魚拓)

利に関しては忌むべきものとの考えが強く、経済に無頓着になりがちだったようだ。『江戸の遺伝子』(PHP研究所)の著者で、世が世であれば18代将軍になっている徳川恒考さんが07年秋、日本記者クラブでの講演で述懐していた。


正しくは徳川恒孝。まあ、この程度の誤字は仕方がない…いや、徳川家当主で元・日本郵船副社長の名前を公式文書で間違えて、長期にわたって直さないというのはさすがにどうか。この文書、第30話の「NPO法人江戸しぐさの活動も始まった。歴史的、あるいは学問的な堀りさげをする一方、人間関係や躾・子育て、人材開発・教育、起業、マーケティング、あるいはマネジメントの視点から考えた、さまざまなプログラムを用意した『江戸しぐさ講座』を準備中である。」という記述から推察するに、「NPO法人江戸しぐさ」の開始直後に書かれたものらしい。その割には、創始者の本名を「小林和男」と誤記するなど、エーっと言うような誤記もあるのだが。

だとすれば2007年9月5日の開設以降、この誤記は6年以上放置されているわけだ。

さすがにどんなものかと思われる。
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プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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