江戸っ子狩り(江戸っ子大虐殺)と「薩長悪玉史観」

江戸っ子狩り(江戸っ子大虐殺)については、恐らく江戸しぐさ創始者の芝三光が「薩長悪玉史観」から創作したのではないかと私は考えている。

・薩長悪玉史観とは?
これは筆者の造語である。1980年頃から、「薩長(薩摩藩・長州藩)が悪であり、幕府は善であった」という主張が新左翼系から現れ始めた。これはマルクス経済学派の影響を受けた歴史作家の八切止夫氏らが主張し始めたもので、簡単にいえば、

悪しき資本家=薩長維新政府=軍国主義
虐げられた民衆=江戸幕府=平和主義

というかなり簡単な唯物史観にもとづいて日本史を理解しようとする考え方である。元々経営コンサルタントだった芝(もしくはその後継者たち)はマスコミの「薩長悪玉史観」に乗っかる形で、

・薩長が江戸しぐさを潰した。だから江戸しぐさはなくなった。
・江戸しぐさは虐げられた民衆側の思想である。
という話を創作したのではないか。

「薩長悪玉史観」を鼓吹した八切氏は「人民歴史家」と賞賛され、新左翼運動の岡庭昇氏や、太田龍氏らとも対談していた。
この考えは当時のマスコミでもかなりウケたようで、未だに江戸しぐさを賞賛する講演会を行っている記者が社会部長を務める毎日新聞社では、牧太郎編集委員が以下の様な記事を書いているほどである。

「断っておくが、江戸っ子である。

 実家は東京・柳橋の「深川亭」という料亭。戊辰戦争で旧幕府軍を率いて蝦夷(えぞ)地を占領、一時は「蝦夷共和国」の総裁となった榎本武揚と縁が深く、箱館戦争で降伏、その後、明治政府に仕えた榎本は「深川亭」を拠点に「江戸っ子会」を起こし「江戸の思想」を守る同志を糾合していた。

 そんな家柄だから、母は「勝てば官軍!」の薩長(さっちょう)が大嫌い。薩長のイナダイ(田舎代議士)は客にせず!がモットーで、結局、昭和38(1963)年に店を潰した。

 僕はそんな環境で育ったから「明治維新は日本の夜明け」とは思わない。薩摩や長州の勤皇の志士が正義。皇国にあだなす徳川幕府の賊軍を撃破し、美しい皇国をつくった!というストーリーなんて……。

 母は「明治時代、薩長の官僚は遊びが下手くそで、すぐ芸者を乱暴する。だから、柳橋の花柳界には薩長は来るな! 明治政府は遊ぶ場所がないので、新橋に新しい花柳界を作った」と教えてくれた。

 勝てば官軍? たとえ道理にそむいていても、戦いに勝った者が正義となり、負けた者は不正。この「薩長史観」が日本国の戦争の背景には常に存在した。」(http://mainichi.jp/articles/20150928/dde/012/070/007000c)

牧氏のご母堂がどう考えられたかはともかく、そもそも榎本武揚ら「江戸っ子会」(この名前も初耳だが)は薩長藩閥側と見られており、旧幕臣・小栗上野介忠順の身内(小栗のいとこの夫・大隈重信ら)とは大変仲が悪く、小栗派に属していた福沢諭吉が「瘠我慢の説」で榎本を「裏切り者」と批判したことは有名な話である。このあたりのことは高橋敏氏の「小栗上野介忠順と幕末維新――『小栗日記』を読む」(2013、岩波書店)など最近の研究に詳しい。

どうも「薩長悪玉史観」ではそのような「旧幕臣の中での明治政府内での対立」などという話がすっぽぬけて「善なる佐幕派・悪の薩長」という単純な階級闘争史観になっているのだが、それらの中で「会津観光史学」という一種のデマが出現し、「薩長は会津戦争の死者を野ざらしにした」というデマが飛び、未だにその話が流布されているのである。これについては歴史研究家の大山格氏がかなり前から批判しているのだが、一向に認識が改められないのは悲しいことである。

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プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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