丹羽長重in劇的ビフォーアフター

アンサイクロペディアに書いてみたらボツになってしまったので、こっちに再掲載。

丹羽 長重(にわ ながしげ)は、戦国時代後期に活躍した戦国武将兼建築家。信長に抜擢され、米屋から栄達した丹羽長秀を親父に持つ。極めて劇的ビフォーアフターな人生を送った。豊臣秀吉や前田利長などにいいように翻弄され、一時は無一文の浪人にまで凋落してしまった不幸な人物…だったが、突然大改造!!劇的ビフォーアフターの匠(たくみ)として劇的な復活を遂げ、晩年は自分が作った城で幸福に包まれて没した。なお、後述の通り、三河吉良領と播州赤穂藩と宮内庁京都御所管理局にとっては「なんということをしてくれたのでしょう」と叫びたい人物である。人は彼を、「逆境を覆すサムライ建築家」と呼ぶ。



父、「世界を驚嘆させた米五郎左」こと丹羽長秀は、「冴えない琵琶湖の小城」目加田城を劇的ビフォーアフターして世界をアッと言わせた安土城を建築した有能な建築家でもあったが、織田信長が本能寺で横死した際、信長の三男織田信孝に随伴し、畿内にいた。つまり信長を弑逆した明智光秀から最も近い位置にいたことになる。そう、ひょっとしたら天下人になっていたかもしれない…のだが。
ところが、なんということでしょう!

丹羽長秀は信孝の従兄弟にあたる「一段のイチモツ」津田信澄に矛先を向け、本能寺の変の混乱に乗じて大阪城千貫櫓で劇的ビフォーアフターのついでに殺害するという奇行をやらかす。結局、信長の仇討ちでは秀吉に先を越され、天下取りに失敗した。

秀吉にあしらわれた上病に伏した長秀は絶望し、自分で自分を劇的ビフォーアフター。なんということでしょう!病床で自分の腸を抉り出し、握りつぶして自殺した。なお、匠の粋なはからいで床の間用のオブジェとしてがんの病巣は秀吉に送られたがなんということをしてくれたのでしょう!ということで秀吉は激怒、越前北庄藩は大減俸を喰らう。

大減俸を受けた丹羽長重だったが、その後も健気に大名業を続けていたものの、関が原の戦いの時に西軍について没落、その間、落ち武者狩りに襲われて山野を逃亡し、友人の徳川秀忠に51歳で招かれてわずか1万石の大名として復活する。



丹羽長重は、安土城の普請を担当した父、長秀譲りの築城の技量を持っていた。長年生かされることのなかった築城の技術がなんということでしょう!ようやくここで発揮されることとなる。時に長重51歳。その間、落ち武者狩りに襲われて山野を逃亡し、友人の秀忠に宿を世話してもらって号泣したこともあった。遅咲きの人生はようやく花開くのである。でもちょっと前半生が長いよね。ここまで読まれた方もさぞくたびれたと思う。なんということでしょう。

まず、物件1:「城主が左遷されてくる城」棚倉城劇的ビフォーアフター。 「逆境を覆すサムライ建築家」匠・長重はなんということでしょう、山上にあった城を破却し、古い伝統ある神社を移動させて外敵から城を守るのに都合の良い平城に改造してしまった。なお、神社は匠の粋な計らいにより修築している。この功績により、物件2:「いつ廃城になったかわからない城」白河小峰城へ加増転封された。
匠・長重はなんということでしょう、奥州の土塁づくりの城を破却し、安土城バリの総石垣造りの堅城に劇的大改造。城下町まで劇的大改造して現在の白河市の繁栄の基礎を築いた。匠の粋なはからいとしては、自分で作った自分の墓、丹羽長重公霊廟(重要文化財)が現存している。
おまけに人柱と称して美少女・おとめタンを囲い、「なんということをしてくれたのでしょう」、美少女と「おとめタンを埋めた跡だ」と領民を騙して植えた桜に囲まれる幸福な人生の晩年を迎えた。おとめタンが長重に劇的ビフォーアフターされた挙句に生んだのが、例の忠臣蔵の浅野内匠頭の祖父・浅野長直である。長直も同様に築城に長け、京都御所を江戸風に劇的ビフォーアフターしている。お陰で三河吉良領と赤穂藩がお家断絶劇的ビフォーアフターされてしまった。

「死後に至ってもなんということをしてくれたのでしょう!」

匠・丹羽長重(とその一族)の劇的ビフォーアフターの軌跡



物件1:「城主が左遷されてくる城」棚倉城
1590年に急造された山城は50度の急傾斜で手すりもないため、おばあちゃんは到底登れない状態だった。
匠・長重の大胆な発想から、なんと山上の城を破却。ふもとの神社を移動させてそこに太平の世にふさわしい
平城を作り、左遷された武士にもやさしい癒やしの城郭を作り上げた。

物件2:「いつ廃城になったかわからない城」白河小峰城
南北朝時代の古城は奥州の要として全く機能しておらず、新規に上方風の総石垣造りの城を築城。三層天守や桜など、観光名所としても機能するようにした。「日本100名城」受賞。

物件3:「地震雷火事に襲われた城」二本松城
匠・長重の大胆な発想から、なんと山上の城を破却。城郭機能をふもとの箕輪門に集中させ、街道の付け替えなどで防御性も確保。「日本100名城」受賞。

物件4:「城主が発狂する城」播州赤穂城…娘婿の浅野長直名義。匠の粋な計らいで孫がアレしてしまい殿中刃傷に及ぶ。

物件5:「塀が壊れて子供が入り込んでくる屋敷」京都御所…娘婿の浅野長直名義。なんということをしてくれたのでしょう、本来の平安風から匠の粋な計らいで江戸風にされてしまい、松平定信に再度劇的ビフォーアフターされるまで平安風の本来の意匠が失われていた。

この頃の日本には欠陥建築・老朽化した建築が多く、匠の手により劇的ビフォーアフターされた建築は数多い。匠の粋な計らいでとてつもないことになった建築も多い…というか、寺社建築で江戸期の改造が加わると、たいていは匠の粋な計らいでヘンな意匠にされてしまって、「なんということをしてくれたのでしょう!」というのが多いんだよな。法起寺三重塔とか。匠の粋な計らいで寺院なのに城郭建築にされて、「なんということをしてくれたのでしょう!」と梅原猛をして嘆かさしめた知恩院とか、マジでヒデエよ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR