兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい)

筆者不明。成立はハッキリしない。大阪大学の湯浅邦弘教授は明末清初の成立と考えているが、ウィキペディアには隋代成立とする説が乗っている。中国の新聞「済南日報」には、隋の開皇十六年(西暦596年)に書かれた「三十六計」が出てきたことを報じているのだが、本物かどうか。一応現地の専門家は隋代のものだと考えているようだが。(以下にその記事を載せる)

http://www.chinanews.com/cul/news/2009/07-31/1799137.shtml

孫子に始まる武経七書などの兵法書を、一般に分かりやすく四文字熟語の形式にしたもので、本文は非常に短い。易経からの引用が非常に多い。なお、一般に日本で流布している訳本には、歴史上の合戦の例が載っていることが多いが、これは原文にはない。今のところ原文を掲載し、ちゃんとした訳を載せているのは湯浅邦弘氏の「孫子・三十六経」(角川文庫)だけである。

南北朝時代の史書「南斉書」に、「檀公の三十六計、走(に)げるを上計と為す」(檀将軍の計略はかずかずあったというがな、逃げるのがいちばんの策だったそうな。」(駒田信二他・中国故事物語)という記述があるところからつくられたものらしい。檀公というのは檀道済(だん・どうせい)という中国南北朝・宋の武将のことで、退却戦が非常にうまかった。その武将の話を、宋に反旗を翻した王敬則なる人物がしゃべったのがこの三十六計なる言葉の出処である。それを、それからずいぶん後の北宋の惠洪なる坊さん(1071-1128)が、「冷斎夜話」なる漢詩エッセイ集で「三十六計逃げるを上計となす」といってから、有名になったらしい。なお、上記の新聞では三十六計は檀道済の書だと断定しているが、隋に書かれた三十六計の現物(?)が出てきただけで檀道済の書だと決め付けるのはいささか早計だと思いますね。

何分、出現したのが第二次世界大戦後で、中国の新聞の「燕山夜話」というコラムで突如発見が報道された謎の古典である。ただ、登場した時から、文章は読みにくく誤字も多いため偽作の疑いが濃厚な為にあまり重要視されなかったが、内容が合理的であることから最近よく読まれている。なお、『孫子』とは何の関係も無いし、歴史上用いられたかどうかは不明である。
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松平俊介

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松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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