鎌倉時代の日本人僧侶が元の大ハーンの師匠になっていた?!ー日持伝説の謎

鎌倉時代の日本人僧侶が元の大ハーンの師匠になっていたという驚くべき伝説があるのをご存知だろうか?
実は、日蓮の高弟の一人、日持が大陸に渡り、元の仁宗の師になったというのである。

日持という人が海外布教を志したことは歴史事実のようだ。「日本はほぼ布教できた。他の人に任せておいても大丈夫だろう。師匠の教えによれば全世界に日蓮宗の教えを広めるべきなのだ。仏縁が薄い野蛮国を布教しようではないか!」と、海外布教を志し、住職をしていた蓮永寺を弟子や檀家に任せて一人飄然と北を目指したという。弟子たちは止めたが、「わしはこの身を既に仏とお祖師様に捧げたのじゃ。たとえ我が身が布教に失敗して海の藻屑と消えても惜しくはない」と断固たる決意を示したので止めることは出来なかった。確実な資料でたどり得る日持の事績はほぼここで途絶えており、没年はおろか命日も不明なため、旅だった1月1日を命日としているのだ。

ところが、大正時代になると、中里右吉郎(機庵)という人が『蓮華阿闍梨日持上人大陸踏破事績』という書物を著した。
そこには消息不明だった日持の事績が詳細に記されていたのである。
中里は現地踏査の結果、「日持は「高麗僧妙持」と名乗って中国大陸に渡り、元の仁宗皇帝の師となった。そのことは私が写してきた『宮記』というモンゴル王宮秘蔵の史料に書いてある。モンゴルに農業を広めたのは日持の功績である。日持は更に旅行し、1324年に新疆省まで達して没した」という主張を行った。この説は日蓮宗の僧であった高鍋日統らにも支持され、一時期かなり流布していたようである。

しかし、前嶋信次氏は、この中里の主張を一蹴し「破綻百出」と断じている。
傑作なのは、この中里の持ってきた『宮記』を小沢重男氏(岩波文庫の『元朝秘史』の訳者!)に見せた所、
「こんなパスパ文字は見たことがない」と言われ、中里はなんで解読できたんだろうね(棒 と言っている
ことである。
pasupa.png

これが『宮記』らしいですよ(前嶋論文『日持上人の大陸渡航について(下) : 宣化出土遺物を中心として』慶大「史学」より)。うーん…

Phagspa_vinokurov_tablet.jpg
これが本物のパスパ文字…素人目にも違いが何となく分かるっすね…

で、この中里氏の主張はことごとく高嶋氏に「はい論破」されているわけですが(詳しくは論文「日持上人の大陸渡航について」がネットで公開されているので見てね)、これがなかなかすごいのだな。何しろ、中里氏の上げる根拠が全部「なくなっている」んだよ。「日持の寺はどこそこにあったが、反日中国人に破壊され…」とかそんなんばっかりなんだよね。高嶋氏も段々苛ついてきたのか
「また破壊かよ」
と論文の後半では明らかにちょっとムカついているんだよね。
で、まあ高嶋氏はこの説はガセだからと結論付け、戦前に宣化(現・中国張家口市宣化区)で発見された日持の所持品などから、多分大陸にわたって宣化で没したのだろう、宣化の立化寺には「立化祖師」という坊さんが祀られているが多分この人が日持なんだろう、といっており、一応これが通説化している。
(もっとも、この日持の所持品の中に入っている西夏文字の華厳経は、どうも後世の偽物ではないかという西田龍雄氏の指摘や、これまるっと全部偽もんじゃないの?という西条義昌氏の説もあり、これすらも真偽不明なのだよね)

まあ、日本の坊さんが突然モンゴル帝国の師匠になるとか絶対ありえないしね…荒山徹でも書かないよ…
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松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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