中国中世の劉氏一族

最近、劉淵のことをかいたら色々と反響を頂いたので、三国時代後の劉氏について調べている。
ところが、劉氏という一族は生命力が強いのか、とにかく中世史の至る所に顔を出すのですね。
新唐書なんか劉氏がボコボコ出てくるんだよな。いやんなっちゃうよ。
歴代正史を読んでいるうちに取り敢えずまとめておく必要を感じたので以下にまとめる。

◎中世の劉氏の2つの流れ

中世の劉氏には2つの流れがあるようだ。1つは蜀の劉備を崇める匈奴系の北方の劉氏である。
もう一つは、前漢の高祖の弟・劉交を先祖と崇める彭城の南方の劉氏である。実はこの2つが
あちこちで王朝を立てては滅びしたのが中世だったと言えなくもない。

なお、これとは別に、劉備の子・劉禅を祖とする正統の蜀漢劉氏や、曹魏にいた劉氏なども
いるはずなのだが、どうしちゃったのかと思うぐらいにこの人々は姿を消しているのですね。謎である。

◎主な劉氏
1,匈奴系の北方の劉氏
便宜上、匈奴と戦った中山靖王末裔の劉琨一族もここに加える。

この人々は匈奴の王族の末裔である。まず劉淵が「我は漢王朝の甥である。兄が滅んだから弟が継ぐのは当たり前だ」
(晋書・劉元海)といって即位した(前趙光文帝)。この一族は一旦滅亡するのだが、なんとその後も復活しており、
有名な夏の赫連勃勃も通鑑胡注に「〔晉書曰:勃勃,字屈孑,匈奴右賢王去卑之後,劉元海之族,劉武之曾孫,劉衛辰之子。劉武,即劉虎,晉書避唐國諱,改虎為武。單,音蟬。〕」と出てくるように、劉氏一族を名乗っていた。
後に「母方の氏である劉氏は礼に背いているから気に入らない」といって赫連氏を別に建てた。
 劉琨一族は劉淵と戦っていたのだが、実はこの人も系統不明ながら中山靖王の末裔を称しており、鮮卑と一緒に戦っていたところを見ると、どうも同系の可能性もあるのではないか?
この他にも通鑑には「稽胡劉蠡升,自孝昌以來,自稱天子,改元神嘉,居雲陽谷;〔李延壽曰:稽胡,一曰步落稽,蓋匈奴別種,劉元海五部之曲裔也。」というように、匈奴劉氏が例えが悪いがゴキブリのように湧いて出てくるのである。
唐代になっても匈奴劉氏は頑張っていたらしく、あの詩人劉禹錫も一説には匈奴劉氏のようだ(自分では中山の劉氏だといっていたというが最近の中国の研究では匈奴系らしい)。
 この一派は劉淵が劉備に烈祖という諡を奉ったように何かと後漢・蜀漢を出す人々である。

2,南朝宋の彭城劉氏

この一族は前述の北方の劉氏とは全然関係がないどころか敵である。中興の祖は南朝宋の高祖劉裕。
宋書の武帝紀に長々と系譜が出ているが、中山靖王(劉邦の系統)ではなく、劉邦の弟・劉交の末裔である。
なんでも前漢の劉向もこの系統だそうだ。

http://liu-shi.web-16.com/Article.asp?id=625

によると、「彭城其他名人有東晉名將劉隗、劉牢之,南朝著名將領劉道產、劉康祖,梁文學家劉孝綽、劉孝威,唐代史學家劉知幾,邊塞大詩人劉灣,中唐詩豪劉禹錫,小說《世說新語》作者劉義慶,窮通大家劉芳,文學批評家劉勰,北魏大手筆劉懋,唐代詩畫家劉商,唐代文學家劉胤之,唐代傳奇小說家(沛人)劉軻,宋初著名隱士劉濤等皆彭城人,所以彭城成為劉姓的最大望族之一。」とすると裴松之先生はこっちの彭城劉家の子分なのね。道理でなんか蜀の筆が辛いと思ったんだよ。宋書に劉裕が前漢の張良を祭った祭文を載せているのだが、劉備は全然尊崇しないようだ。
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松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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