『洛陽伽藍記』巻二より、陳慶之の故郷「未開の地・呉」の恐るべき現実

南朝宋の武将・陳慶之が北魏の都、洛陽に乗り込んだ時の話である。
道中のことは田中芳樹氏の小説『奔流』に詳しいから略す。

北魏人は陳慶之を宴に招いたが、
陳慶之は「北魏もそこそこ栄えてるけど大したことないっすねー。やっぱ南朝がサイコウっすね。伝国の玉璽だって
南朝にあるしwww」
などと、北朝を小馬鹿にした。
そこで北魏の元慎が陳慶之にこういったという。
『我々は陳慶之が何故このような大口を叩くのかという
疑問を解決するため、陳慶之の故郷である呉に向かった。
「まだ中国にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。

元・流人のザンバラ髪の君主、イレズミだらけで麻の着物に藁ぐつを履いた貧相な体つきの民衆、
文明の恵みに浴しない水上生活者たち。

そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
龍門石窟だの、北魏様式だの、アルカイック・スマイルだので浮かれていた
我々は改めて呉の現状を噛み締めていた。
歌舞音曲もなく、グループセックスが唯一の娯楽だという。

ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「慶之が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。

我々はこの時初めて慶之を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、呉の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は慶之の母親から貰った江南名物のレンコンを手に、
打ちひしがれながら魏都洛陽へと帰路についた。


陳慶之は「これはひどいwww」と唸り、それから一言も大口をたたかず、南朝に帰還の後は
北魏の服を着るようになったという。

…『洛陽伽藍記』巻二より
(元ネタはお分かりの通り、未開の地グンマーのコピペ。入矢義高禅師の『洛陽伽藍記』訳注を参考にしました。
原書ではグループセックスのみならず、呉(劉宋)の王族の乱脈な性生活が暴露されており、入矢禅師によると
すべて宋書などに記録が残っているそうで・・・)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR