呉の「上大将軍」は「大将軍」より下か~叔嗣氏の新説について

最近、三国時代の官制研究で意欲的な論考を出しておられる、歴史サイト「歴華泉」の叔嗣氏が、「陸遜の上大将軍は、諸葛瑾の大将軍より下位である。」
(http://rekishiizumi.web.fc2.com/4/5.html)という説を出された。

叔嗣氏の論考については正史三国志原文や諸子を踏まえた堅実なものだが、この説については既存研究が誤っていることも有り、私はいささか勇み足ではないかと考えるのである。なぜなら元の胡三省が「陸遜の上大将軍は、呉の新設官位で、諸葛瑾の大将軍より上位である。」と述べているからである。

1)「東洋歴史大辞典」の誤謬
「東洋歴史大辞典」より
春秋時代の晋の獻公が上軍将軍を置き楚の懐王が宋義を上将軍に任じが、上将軍の名号が始めて見えるのは前漢初に呂録が上将軍に任じられた時である。その後はしばらく見られないが、三国時代になり曹真や陸遜を上大将軍に任じ大将軍の上の位とされた。(引用は「歴華泉」より)

そもそも、叔嗣氏が引くこの辞典の記述は誤りがあるようだ。というより、この辞典の編者はどこかから孫引きをしたものではないかと思うほど間違いだらけである。大きい字で書いた所は全て誤り若しくは疑問である。もっともこの辞典は昭和12年のものなので、その頃の辞書作りはどこもいい加減であった。これは叔嗣さんというより辞書が悪い。

まず「上将軍の名号が始めて見えるのは前漢初に呂録が上将軍に任じられた時である。」というのがダメ。
資治通鑑周紀 《赧王中》 三十一年には、
 「燕王悉起兵,以樂毅為上將軍。〔上將軍,猶春秋之元帥。帥,所類翻。〕」
(燕王はことごとく兵を起こし、楽毅を上将軍とした。胡三省いわく、上将軍は、春秋時代の元帥と同じようなものである。(反切略))…同様の記述が史記燕召公世家にもある。楽毅を知らないんですかねぇ、この辞書の編者は。

また、史記の注釈書「史記正義」には、『會稽典録云:「范蠡字少伯,越之上將軍也。」』とあり、陳嘉炎・左言東『中国官制縦横談』(新華出版社)では、これを上将軍の語の初出としている。史記正義をどこまで信用するのかという問題になるが、少なくとも老子に出てくる官職が漢初に初めて出てくるというのは考えにくい。やはり春秋戦国の頃にすでにあったのだろう。また、後漢書にも「上將軍隗囂」というのが出てくるので、その後置かれなかったというのも間違い。

山川出版社 「中国史1 先史~後漢」もどうかと思う。
「 山川出版社 「中国史1 先史~後漢」より
大将軍は三公に比せられ、驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍がそれに次ぎ、さらにそれに次ぐ者として驍騎将軍・上将軍・伏波将軍などがある。」
というのだが、宋書百官志には「漢東京大將軍自為官,位在三司上。」(後漢の大将軍は三公の上)とあるので、これまたダウトである。前漢では確かに大将軍=三公だったので、制度の変遷を多分忘れているのだと思う。驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍もおかしいのだが、それは又別の機会に触れたい。叔嗣さんは通典が元ネタではないかと推測しておられるが、通典は有名な史書だが唐代のものだから宋書より資料価値はやや劣るのではないか。なにしろ宋書はあの裴松之のお仲間が書いたものが元になっており、裴松之は三国時代の生き残りに取材しているのだから…

2)胡三省の見解「上大将軍は大将軍の上である」
 元の学者で胡三省という人がいた。この人はとにかく正史・野史をメチャクチャ研究した人で、30年掛かりで資治通鑑の注を書いた人である。その資料価値は、私の大先輩の宣和堂さんの文章に詳しいのでそれを引く。
「胡注は《資治通鑑》の注釈という枠にとどまらず、歴代史書の注釈の中でも最も評価が高い。下手をすると司馬光の本文よりも胡三省の注釈の方が資料価値が高いとすら言われることがあるくらいである。史炤の《資治通鑑釈文》を参考にしたと言っても、ほんの一部に過ぎないし、分量もレベルも格段の差がある。
 胡注は特に地理に関する注釈で評価が高く、地名の異同、州県の建置離合については他の追随を許さず、却って正史の注に胡注が引用されている。また、胡三省の注釈は地理だけにとどまらず、行政沿革、軍事外交、制度の変遷から、訓詁字義、博物地理などにも高いレベルの注釈が施されており、《資治通鑑》の記事の全容がこれによって明らかになるのである。細かいところでは、人名の呼称が文章の前後で不統一になっている所などの注は有り難い。
 まさに胡三省という人物が三十年の歳月を費やしたという、圧倒的な《資治通鑑》研究の成果が胡注という形で実を結んでいるのである。(http://www.geocities.jp/zizhitongjianjp/tugan2.html)」

実は、この胡三省が「上大将軍」について書いているのである。

魏紀 第071卷 魏紀三 (AD228–AD230)  《烈祖明皇帝上之下》 三年 p-2256
 九月,吳主遷都建業,皆因故府,不復增改,〔復扶又翻。〕留太子登及尚書九官於武昌,〔九官,九卿也。〕使上大將軍陸遜輔太子,并掌荊州及豫章三郡事,董督軍國。〔吳於大將軍之上復置上大將軍。三郡,豫章、鄱陽、廬陵也。三郡本屬揚州,而地接荊州,又有山越,易相扇動,故使遜兼掌之。

 原文の意味は正史三国志と同じだから略す。
 胡三省は以下のように言う。「呉は大將軍の上に復た上大將軍を置く」
 そう、呉は上大將軍を新設したのだというのである。胡注の別の箇所でも呉の上大將軍新設について触れられているので、多分、これはエポックメーキングなことなのだろう。

 (随時加筆訂正します)
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松平俊介

Author:松平俊介
松平俊介(まつだいら・しゅんすけ)
雑誌ライターやwebディレクターをしております。webデザインからwebマーケティング、ライターまで何でもやっております。これまでに色々なプロモーションを手がけて参りました。過去には週刊SPA!等に関わっておりましたが、現在は「連載JP」(東京産業新聞社)や、neverまとめ(NHNジャパン)を中心に執筆しております。
趣味は街歩きと歴史研究です。

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